ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

2023年初詣

大宰府天満宮

新型コロナに罹患してスタートした2023年であるが、昨年来より約束していた旧友の来訪を機に一緒に初詣をすることにした。1月26日から28日までの3日間であったが、10年に一度レベルの寒波到来で、東京から来福するにあたり、飛行機の発着が危ぶまれたが、前日がピークであったこともあり無事日程を熟すことができた。

一晩を拙宅で過ごすことになったので、横浜在住の彼には珍しいだろうと近隣の薬王寺温泉に連れて行った。ここは薬湯で有名であるが、ちょっと温めであったが、とても肌には良さそうで、ピリピリする感触である。彼はとても満足気で、寒さが厳しいだけに余計に嬉しかったようだ。

拙宅には多少の拘りがあり、築10年経つが、在来工法、自然に近い建材や素材、太陽光は屋根への負荷と工業製品としてのパネルの安定度に関する不安視から付けない事、主暖房は薪ストーブを据える事だった。1年ほど色んな工務店やモデルハウスを訪問し、無添加住宅を選択した。「在来工法、無垢材、漆喰」とほぼ条件を満たし、設計の段階で薪ストーブありの前提で注文できたのでほぼ満足である。注文住宅ゆえに、趣味の陶芸や油絵、木彫、トンボ玉造りができる趣味の二坪の玄関続きの土間部屋が作れたのがリタイヤ後多くの時間を費やす一番大事な部屋となった。

と言う拘りの造りのシンボルが薪ストーブな訳である。この日の寒さを考えると目一杯運転しないと18畳の居間全体には暖が行き届かない。しかも二階の部屋を暖める為、煙突部は吹き抜けにしているので、余計に暖気が上に逃げていくので、ちょっと納得は行かないものの、心地よくお客を迎える為、エアコンも掛けての二重暖房となってしまった。ちょっと興ざめである。しかし、客は想像以上に薪ストーブに魅入られた様で、食事後には部屋を移して畳間で寛ごうと促したが、薪ストーブの薪の火を見ていたいと言って動かなかったほど気に入って貰えた。そんな雰囲気で明日以降の初詣スケジュールを説明したが宮地嶽神社宗像大社筥崎宮大宰府天満宮→坂本神社と言う、北部九州では特に有名所を巡る事とした。

宮地嶽神社 奥の宮

27日は雪がちらつく曇り空であったが、その分1月の宮地嶽神社にしては参拝者は少なめの様に感じた。あまり知られてないが、宮地嶽神社の大注連縄、大太鼓、大鈴は宮地嶽神社の「3つの日本一」とのことで、奥の宮には古墳石室があり、300点程の埋蔵品が発見され、内20点が国宝の指定を受けている。埋蔵品の1つに長さが3メートルもある日本一の刃は権力の象徴で、柄の部分に大きな蕪を模したデザインがされ、蕪槌の刃と称されている。宮内ではレプリカが見る事ができるので見ごたえがある。
それ以外にも宮地嶽神社には、神功皇后主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する御本殿以外に「奥之宮八社」と呼ばれる社が祀られており、「一社一社をお参りすれば大願がかなう」とう信仰で、ご本殿参拝と共に結構な人が訪れている。

面白いのは、奥の宮に向か右手側に広がる広場と右手に見える比較的大きな池と奥に見える古民家の景観はとても落ち着く。桜や梅の季節の木が多く植樹されているので、シーズンごとにこれを目的に来る参拝者も多い。大宰府天満宮の土産の定番「梅ケ谷餅」に対抗して「松ヶ枝餅」も参道脇の店でいつでも買えるお勧めの品である。

案の定単調な神社では無いので、連れて来た彼はそれぞれに興味を示していた。まあ昨今はこれらの特色を示すよりは、嵐のCMで有名になった「光の道」を冠に説明した方が興味を引くので掴みは、光の道はここから見た光景だよと言えば、「なるほど」とうなずいていた。

宮地嶽神社からそれほど遠くないところに宗像大社辺津宮があり、古事記にも出てくる古式豊かな由緒正しい神社である。辺津宮中津宮沖津宮に祭られた三女、神田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)は多分この地方が宗像氏一族縁のエピソードが神話となり、一円を束ねる豪族としての正当性を裏付ける様な逸話となり、古事記に投影されたのだろう。それだけに、一つ一つの説明にその歴史的意味合いに思いを馳せるのも一興である。

一番奥にある高宮祭場は伊勢神宮に通じる静寂さと神聖さを感じる場所である。

ここまでの神社参りは、拙宅からはよく行く馴染みの深い神社であるが、一度行けば満足と言う名所旧跡より、行くたびに小さな発見や、変化を楽しめるスポットである。今回数日後には節分を控え、その準備の設営に忙しそうだったし、年を追うごとにイベント化している様だった。よく思うのだが、寺院より、神社の方が、大衆迎合、世俗化と言う意味では大胆なように感じる。それは宗教と言っても、厳しい戒律がある訳では無く、幾つもあるお祓いの祝詞、中でもおお祓いの祝詞等は神話の様で日本人のDNAに染みついているほど生活化されているので、俗悪的なものであっても、飲み込んでしまうんだろう。

ここまでの行程で3時間程だったので、食事を挟み彼が二日目の宿泊をする天神方面へ向かう事にした。宗像大社から博多方面で、有名な神社と言うと香椎宮とか筥崎宮住吉神社櫛田神社辺りであれば妥当なところだろう。博多と言えば、夏のお祭りの代表の山笠が浮かぶが、山笠と言う祭りは「流れ」と言う集団ごとで、筥崎宮櫛田神社の間を神輿を担いてタイムを競うと言うちょっと競技感覚のある独特な祭りで、県外から来る方には山笠絡みで両神社を参拝するのは一興である。まあ、時間の関係で、私たちは筥崎宮に向かう事にした。福津に戻り車を降りて、福間駅からJR箱崎で下車して向かう事にした。車でも30分程で丁度良い電車に乗れれば所要時間は変わらないので、荷物があり、複数人であれば、車を選ぶのだが、運転の無い気楽さと彼は一足先に一旦ホテルにチェックインしたいとの事だったので、時間が読める電車で現地集合となった。

この筥崎宮は毎年プロ野球ソフトバンクホークスがシーズンインに向けて必勝祈願に来る神社で、この神社の歴史に由来する。宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えら、 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后玉依姫命がお祀りされている。鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名で、後世は足利尊氏大内義隆小早川隆景豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を極めたことで必勝祈願にはうってつけの神社なのだ。

境内は秋に放生会の祭りで西日本一の露店が軒を並べる事で有名で、鳥居が海に向かって真っすぐ伸びており、露店の賑わいはなかなか見事である。第一鳥居の脇に常設店舗となった博多中洲の屋台と同じ雰囲気の花山やその隣のこれも拘りのクラフトビールカフェ&居酒屋、筥崎鳩太郎商店、お隣の昔のパン屋を匂わせるナガタパンに等個性的な店が並ぶ。この筥崎宮の周辺には探すと面白い店が多い。

鳩太郎商店により古民家風の店内で名物の自家製おでんとクラフトビールを頂いた。ここのシェフは元々フランス料理人らしいが、自家製おでんと言うことで、シチューテーストのだし汁なのがフランス料理のを感じさせる。価格も決して高い訳でも無くお手頃だと感じた。

さて、翌日は大宰府天満宮→坂本神社を巡る事にしたが、この一連の参拝の中では一番寒い日となった。小雪がちらつく中、待ち合わせの西鉄大宰府駅で合流したが、寒さに人出は少ないと思っていたが、意外と多く、この時期ならではの受験生と思われる若者と外国人旅行客と思われる少人数の団体が散見された。土曜日でもあり、賑やかな参道商店街もそれなりの賑わいである。ここ数年特に、神社や大宰府との縁も感じない土産売り物や、物販のお店が目に付く。大宰府の雰囲気を壊しているとの思いは無いが、ジブリの専門店や革・鞄専門店などは首を傾げたくなるのは私だけであろうか。眼鏡橋を渡ると直ぐに本殿が見える。ここも節分用の装飾があり、時期を感じさせる。

本殿で参拝を終え、一輪花を付けたと聞いた本殿右の飛梅の木を眺め、次に右手脇から奥の摂社末社を参いり、祭られている銘木を見ながら、大宰府に来たら是非とも寄りたいちょっと奥まったお石茶屋で一服する事とした。ここは居並ぶ茶屋の一番奥にあるので、初めての方は多分手前の茶屋に行ってしまうのだが、実は由緒があり、抹茶と梅が枝餅が美味しいところなのだ。是非寄りたいお店だ。

大宰府天満宮の境内周辺には境内美術館や宝物殿などもあり、一度は時間を掛けて見てみるのも面白い。

大宰府天満宮から遠くない所に「令和」年号の起源となった坂本神社がある。どちらかと言うと、大宰府政庁跡の裏手に位置すると言って良い。

多分、改元が無ければ日の目を見なかった神社ではなかろうか。

大きくそびえる巨木に守られた歴史を感じさせる神社ではあるものの、政庁跡の広々とした敷地裏で雑木林に隔てられ全く目立たない神社である。今は傍刺しのの幟や記念碑、標柱で示され、「ああここが例の神社か」と感慨深く感じるものの、まあそれ以上ではない。話のネタに来れば良い程度であるが、何度来ても存在感は感じる不思議な神社である。

ゆっくりと時間を使って今回参拝をしたが、神社や仏閣は季節折々の姿があり、春になれば桜や紫陽花等様々な彩で楽しめるし、大体広々としているので、散策するにも丁度良い。海外にもこう言った歴史的建造物としての名所は多いものの、日本のそれは、日本の気候に大きく起因するものの、なにかモノトーンで、それを季節の木々や花々が彩らせている様な独特な雰囲気を持っていると改めて感じた初詣であった。

同行した友人も大宰府以外は初めてだったので、いずれの神社にも興味を持ち歴史を感じて貰えた様だ。

私の場合の新型コロナ体験

既に第八波と言われる中、とうとう新型コロナにり患してしまいました。住んでいる福岡県の統計を見るに、昨年12月30日~1月12日で感染者数111,651人と言うことですが、私の場合、妻が先に発症したので、市販の抗原検査キットで陽性がでたので、診断をふけるまでも無く感染したのは間違いなく、トドメで私の2日後に体調を崩した娘が正月休みの最終日に発熱外来に行って確定診断を受けたので、この実数に入ってますが、私と妻は入ってません。だから実際の感染者はこの倍はいるのではないか。

マスコミも過去最高の感染者数と如何にも一大事と相変わらず報道しているのも、根拠のないことではないが、風邪をひいた人の実数を誰か把握してますか?と聞きたい。

インフルエンザでさえ実数は把握できていない。なぜ把握しないのかと言えば、把握する必要は無く、治療方法がある程度確立されているので、統計的傾向把握や、規模に応じた医療体制や医薬資産が十分かなどと言いう懸念が無いのだから把握の必要はないとなる。新型コロナの初期段階と違い、感染力は上がっているが、弱毒化しているのは既知の事実である。実際私の場合も40度近い発熱はあったものの、キツイと感じたのは3日間程度であった。それも普段の風邪との違いは感じられないほどだった。ただし、病後の回復はとても遅かった。31日に発熱して、今年の1月2日には普通に起きて、活動は可能だった。但し、体調不良はその後一週間続いた。しいて言えばこれが新型コロナの特徴ではないか。人により症状は違うとの事であったが、概して「後遺症」と言われる類の不快な状態が付きまとう風邪なのだと思う。

私も妻もワクチン反対派なので、皆3回接種が当たり前と言う中で、周回遅れどころではない状態だったが、り患してみて、改めて接種の必要性は感じなかった。

接種による後遺症や、突然死などを聞くに、り患予防や軽症化の為のワクチン接種自体の効能よりリスクの方が看過できないと感じる。

「人による」と言うマジックワードで恐怖を増幅し、世論をワクチン接種、徹底した感染対策へと誘導する政府や、マスコミのミスリードは大きな罪だと思う。世論受けする安全側に立つ政府と、世論誘導をしたいマスコミ、利権や権益にしがみつき放そうとしない業界団体によって身動きできない状態なのが我が国なのだ。同様な状況でもコロナを特別視せず「ウイズコロナ」に舵を切った西洋諸国から冷ややかに見られているのに勇気と慧眼を以て「STOP」を言い出す真の政治家がいないのは残念だ。

しかし、中国は「ゼロコロナ」から「ゼイインコロナ」へ「白紙デモ」を契機に大転換し(させられ)、社会インフレの準備の無い中感染爆発によって、どうにもならない状況になった。しかも、民族大移動の「春節休暇」に向かって導火線に火がつけられた状態なのに中国政府は成す術なし状態に見える。80~90年代の中国は回りの国に対して下手に出ながら、着実の国力を伸ばし、今や完全に日本の経済力を追い抜き、世界に対する影響力もアメリカに匹敵するほどになった。ソビエトが崩壊して、継承したロシアもBRICSの一員と目される程地力を付ける至ったが、この権威主義国家たちは、昔ほどしたたかでは無くなった気がする。中国は前述の如く習近平による共産党一党体制が滑稽な程中国をダメにし出したし、プーチンの始めたウクライナ進攻がロシアの弱さを露呈した。(それでもしぶといロシアであるが国力低下を免れない)

超大国アメリカの病はもっと深刻なきがする。世界をリードするべき自由主義国のアメリカの国内で極左グループやグローバル主義者達が自信の理想と利権の為に国を変えようとしている。しかし、対外的な大きな支柱であることは変わらずその言動により世界は大きく振り回される。

新型コロナがもたらした様々な矛盾や、歪はどう修正されて行くのだろうか。実際にり患すれば、体験により次に進める、予防のみに拘る必要があるのだろうかと感じなくもない。人によっては重篤になる方もいるのも間違いないが、何時かは死ぬのである。しかも今は基礎疾患を持った方や高齢者が死亡確率が高く、社会活動を担う層にすれば風邪の一つなのだ。

体調はイマイチだが、改めて次の一歩を踏み出す必要を感じる。

猪木イズム2

猪木イズム1の続きとなるが、このアントニオ猪木と言う人を私はどう理解し、捉えているかを語りたい。

今になるとあの名勝負の裏話や、そこに至る背景、猪木さんの狙いなどが、その時の当事者や猪木さん本人の談話から知られることが多い。当時はそんなことは全く知らずに、ワクワクドキドキしながら、不安と期待の思いでテレビをじっと見つめていた。結果はいつも期待通りとは限らない、特にシリーズだったりすると、最初はヤキモキ、ガッカリしながら見ているが、次にきっと応えてくれると思いを馳せた。当時既にプロレスが「八百長」と言うレッテルを貼られ、新聞紙面やテレビのスポーツニュースからも試合結果を報じれる事が無くなり、世間から冷ややかな興行として扱われるようになっていた。

プロレスファンは他のスポーツファンとは違う括りで見られていた。確かに、場外乱闘は当たり前、ルールは有って無いようなもので、3カウント以内なら反則でも許されてしまうスポーツ等邪道だし、いくら興行とは言え、客を笑わせるようなアクションや、トリッキーな動き、パフォーマンス等勝負を競う競技とは程遠い。しかし、客に与えるインパクトや感動は選手と観客が一体となる興奮の中で誘ってくれる。こんな心地よい時間は一旦ハマってしまうと抜けられない。特にファンにとっては、当然そこにお気に入りのスター選手がいてからの話である。つまり、当時のプロレスファンにはお気に入り選手が必ずいた。日本プロレスの正当な流れを汲む全日本プロレスであればベビーフェイスの馬場や鶴田や三沢やドリーファンク、ミルマスカラス言ったところで、対する新日本プロレスでは猪木であり、藤波、タイガーマスクであった。

日本のプロレスの元祖は力道山であった事は誰でも知っている。その死に方が暴漢による傷がもとで亡くなり、その後の団体維持もままならず、当時市民権を得ていたプロレスもその地位を追われる事になる。しかし、全日も新日もゴールデンタイムの週一放送が長く続いたので、お茶の間での有名人であった。

新日プロレスは猪木、坂口、藤波等の日本人レスラーとタイガージェットシン、スタンハンセン、ハルクホーガン等の強豪外人レスラーとの対抗戦で黄金期を迎えると、更にタイガーマスクの登場で絶頂期を迎えた。アニメキャラクターを登場させると言う画期的な演出は低年齢の子供から女性の方にまでファン層を広めた。これは、佐山サトルと言う天才だからこそ演じきれたキャラクターではあるが、明らかにプロレスのスタイルを変えた。従前のプロレスファンや、プロレスを冷ややかに見る向きは、「サーカスプロレス、アクロバットプロレス」と酷評し、プロレスファンは、プロレスの醍醐味はヘビー級でジュニアでは無いと言う。たしかに、軽量級のレスラーのテンポの良いアクロバティックな動きはメキシコのルチャリブレに代表されるが、その見応えとタイガーマスクのそれとは一線をかくしていた。かつてグランド技やスープレックスの名手はいたが、キックや切れのある投げ技や跳び技を繰り出す選手はいなかった。その道のエキスパート例えば、ボクサーのパンチ、ムエタイの蹴りと比較しても遜色がない。しかもスピードとテンポは群を抜いていた。運動神経が半端ないとしか言いようがないバランス感覚であった。ダイナマイトキッドのデビュー戦のインパクトがその後ブームの点火となったが、まさにマスクの出来を覗いて満点の出来では無かったか。

このブームは新日本プロレスを一気に飛躍させた。猪木は社長として会社経営が安定すると、当時から熱心に投資していたサブビジネスの数々の事業の中のアントンハイセルの成長を夢見てかなりの投資を行い、ワンマッチ1千万の放映権料と言われた収入が回され、体を削って名勝負を繰り広げるレスラーからすると面白いものでは無かっただろう。しかし、猪木さん自体は経営が厳しいとき裕福なときも、レスラーを養い、鍛え、より世間にPRできればそれでよく、それ以上レスラーたちの気持ちを汲むことは無かったのだろう。猪木さんにとって稼いだ金の色は無く、使えるお金を回してゆけば良いと言う感覚だったのだろう。全てが同一線上にあり、全体が回れば良しと言う感覚なのでは無かったか。レスラーの不満の気持ちもよく判る。

猪木さんがそう言う人であることに何の違和感もないのだ。多分周りの社員もレスラーもそう思ってたんじゃないか。しかし、この内輪もめから、派生したタイガーマスク離反、前田日明の離脱は維新軍団や、国際軍団とは違う。TVをバックにつけるでも無く、団体を立ち上げた。UWFやLINGSを生み、新たな格闘技文化を咲かせたのだ、何とも運命的なものを感じる。後に、これはTVとの独占契約との問題があり、新日の子会社との位置づけになっていたそうだ。しかし、プロレスの方向性が明らかに違ったUWFのちのUWFインターやリングス、藤原組など様々に分化したが、このプロレスの純格闘技化は海外で注目もされ始めた、グレーシー一族の名を一気に広めた総合格闘技イベントUFCの登場で日本のみならず世界的な総合格闘技がプロレスを超えたジャンルとして確立したことにマッチした。

これは既に猪木の提唱する総合格闘技たるプロレスではない。だから猪木の弟子の桜庭とか高田とかリングスメンバーが積極的にUFCに参加し、これを物差しとして、自身の所属する団体の㏚を図ったが、イベントとしてはそれなりの集客や視聴率を取るものの、ブームを起こすほどのことは無かったと感じる。熱狂的なファン層はいたと思うが、プロレス程その裾野を広げることは無かった。リアルな真剣勝負の緊張感を醸し出すものの、皆がその戦いにのめり込んでスイングする感覚を持てる様なものでは無かった。

猪木の目指すプロレスはどこに行ったか。今のプロレスは新日の若手世代による何度目かのブームを起こしていると言う。既にテレビマッチが無くなって久しいので、限られた有料のチャンネルで見るファンや、会場に足を運ぶ熱心なウォッチャーは確実に存在し、堅調であることは間違いない。内容もタイガーマスクの作りあげた異次元空間を醸し出すような驚くような技もより進化している。

そう言う意味では従前のプロレスを踏襲発展していると言って良い。ただ、もうそこには猪木プロレスは存在しない気がする。明るく楽しいプロレスは有っても、怒りを視聴者と一緒に発散して、レスラーに自身を投影する様な時間の共有が無いように思う。これは既に世代の問題かもしれない。だから猪木世代の私たちのプロレスはもう二度と来ないと言う事だろう。私たちの猪木プロレスはリアル猪木であり、猪木の死をもって終焉するのだと思う。

私は中学校の頃から武道・格闘技との関わりがあり、警察の柔道場に通ったり、少林寺拳法の道場に通ったり、大学では少林寺拳法部に所属していたが、プロレス熱が一気に高まった時期であった。格闘技とプロレスとは違うものであるが、「闘う」ことの根源となる「怒り」=ルールの中で目一杯自分の力を発散できる場が格闘技の道場の場であり、それを投影できるプロレスの試合だったのだ。その時の猪木の雄たけび、怒りに満ちた目線、「誰の挑戦でも受ける」と見得を切る勇姿を見てシンクロする自分を見たのだ。野球ファンなら王、長嶋、相撲なら大鵬と言ったところか、そういう意味で、自分が若かりし日々に全盛期の猪木さんであり、村松友視氏の「私プロレスの味方です。引用午後八時の理論」でいう。より文化的なあいまいな空間を提示してくれたアントニオ猪木に感謝する。

猪木さんはよく言われる事だが、ファンサービスの塊だと言う。そういう意味では相手の気持ちが判る優しい人で、「どうだ俺カッコいいぞ」と見せつけるナルシストであり、「迷わず俺について来い」と言うカリスマリーダーだったのだ。

晩年の猪木は「昔の名前で出ています」的な扱いの場であっても、後ろめたさも無く、悲哀も無く、堂々と「アントニオ猪木」を演じている。老いを見せるも、飽くまでもイメージを変えないため、白髪染めにも余念がない、赤いタオルは必須アイテムである。死ぬまでアントニオ猪木アントニオ猪木のままでいる事を選んだのだ。それはファンが望むアントニオ猪木である。猪木ファンの許容範囲は広いので文句は言わない。それは猪木とファンの「お約束」なのだ。

そう「お約束」を満喫させ、俺はこんな人間だよ。ついて来るならついて来い。名に悩んでるんだ、一歩踏み出せばすぐに判るよ。さあ行こうと言ってくれる存在なんです。

「らしさ」を最後まで突き通した人それがアントニオ猪木だった。ありがたい存在だった。ご冥福をお祈りする。

 

猪木イズム1

アントニオ猪木が亡くなった。今年になってYOUTUBENHKのBS企画番組で猪木の闘病を扱ったドキュメンタリー「燃える闘魂ラストスタンドアントニオ猪木 病床からのメッセージ」や佐山サトル(初代タイガーマスク)のアナザーストーリー「タイガーマスク伝説 愛と夢を届けるヒーローの真実」を見て、往年のヒーロー、若き日に憧れである猪木や佐山サトル自身の思いや情熱を投影したヒーローの落日の晩年の姿を知るに至った。ああ、自分も年を取り往年の若さや体力は無くなったが、あのヒーローも悲しい晩年が待っていたんだと実感した。どちらも見終わった後にまだまだ頑張って、往年とまでは行かなくても、在りし日を彷彿させる勇姿を見せて欲しいと思う反面、これ以上先の姿を見たくなかったと言う気持ちがあった。いつまでも自分のヒーローであり、仮に病魔に侵されて、より変わり果てた姿を見るのであれば、もうここで良いと気持ちからだ。いずれも進行形で戦い続ける姿で終わっていたからハッピーエンドでは無いのだ。立ち向かう姿をそのまま見せて、共感させる終わり方なのがどうしても気持ちを重たくさせる。猪木さんに至ってはその不幸な結末が早すぎる。悲報を知ったここ二三日でアップされる猪木さんを悼む動画を見るに、初めて知る事もあり、波乱万丈人生であることは判っていたが、唸ってしまうほど常人fのそれとは違っていた。つまり、色々な局面で、猪木さんは「アントニオ猪木」だから、こうでなけれなならないと言う強い信念があり、色んな選択をしてきたと言うことだ。普通なら、避けて通る様な、また常識的には進まない道を敢えて進む。色々問題や課題、リスクはあるが、猪木の座右の銘とも言える。一休禅師の「道」の教示は迷ったら一歩踏み出し、踏み出せばその一歩が道になると言う発想が判断基準であり、わかない時は直感に従い、一歩踏み出す、一歩踏み出すことに迷わないと言う事なのだ、だから大損もすれば、誤解もされ、非難もされる。しかし、本人の信念や考え方からの結果結末だから猪木は後悔しない、全てを受け入れると言う男気なのだろう。やはり常人では無かった。それを全うした人だ。次は佐山さんだなぁと直感した。

佐山さんはある意味猪木さんと同種類の人だったと思うが、前田日明は違う人種である。しかし同じプロレス村の住人で、頂くはアントニオ猪木だったはずである。猪木や馬場は常に定規の様に色んなレスラーを測る物差しだった。強いとか弱いとかでは無く、猪木を超えるか、馬場を超えるだけの評価を、ファンを得られたか、知名度、市民権を得たかなのだ。そう言う意味で佐山も猪木臭がする。しかし、天才レスラー格闘家の域を出なかったと思う。逆に前田日明は強い格闘家であったが、天才とは違う。地震の格闘人生のリタイヤもレスラーにしては早かった。その代わり、理想とする団体、組織、ネットワーク作りに情熱を燃やし、どちらかと言うと政治家タイプだ。

馬場猪木と同世代人が既に中年以上で自身の半生を語る立場が多くなると、そこに多少なりとも、若き日に熱狂したことを引き合いに語る時、馬場猪木を語る人は少なくないだろう。例えば、野球で言えば王や長嶋さんの思い出を語るのと似ている。

猪木さんが難病全身性アミロイドトーシスとの闘いがでの最後となったが、この病気は安楽死なんてさせてくれない、絶望の中で諦めて死んでゆくような病魔だ、アミロイドと呼ばれるナイロンに似た線維状のたんぱく質のかたまりが、全身のさまざまな臓器に沈着し、体の異常を起こす病気で段々臓器が機能不全になり、徐々に動くことも喋る事もまた、食べる事も出来なくなり死んでゆくのだ、まさに絶望と諦めの中の死と言って良いだろうに、猪木さんは発病からYOTUBEに最後の闘魂と銘打って露出を増やして、自らの死との戦いを記憶として残していった。

死とも戦うその姿を見せつけて死んでいったのだから凄まじい。

生涯4人の妻を持ち3人の子供がいたと言うが、表に出てきたのは倍賞美津子とその子の寛子さんくらいか、猪木が一番輝いていた時の妻の美津子さんは記憶に残っている、私たち心に残っている猪木さんの強かった時の姿だ。最後の妻はすい臓がんで2019年に先立っているので、寂しい死だと言わざるを得ない。しかし、弱い死ではなかった。最後まで弱い自分を見せつけて戦う姿を見せつけるのが、マット上の燃える闘魂を病床で見せつけているのだ。

現役時代もかなり体を酷使しており、色々と怪我も多かった、怪我を押しての闘う姿にも、ハラハラさせられ試合の行方にのめり込んのを覚えている。

異種格闘技戦はプロレスファン以外の格闘技ファンにも物議をかもして注目を集めた。プロレスの様なルールが有って無いような「3秒ルールの何でも有り」と厳格なルールに縛られた格闘技との闘いが成立するのかと言う問題である。どの格闘技が一番強いのかなどと言う無邪気興味では無く、試合として成立するのか、成立しても凡戦?になるのでは無いかと言う不安である。ルールを厳格すれば、競技となり勝ち負けはルールによって下される。しかしプロレスに寄れば、面白くはなるが、勝ち負け、強い、弱いは曖昧になる。猪木さん以外にもこの異種格闘技戦に乗り込んだレスラーはいる。なんとあのジャイアント馬場も行っている。しかし、案の定ほとんどの格闘技戦はプロレス側が相手のルールに寄ると言うより、プロレスに引き込むと言う流れが多かった。猪木さん以外には前田日明のドンナカヤニールセン選は名勝負と言えるだろう。後のUWF、リングス像が浮かぶ試合だった。これなどは格闘技ルールにプロレス側が寄っていった流れだが、そこでの勝者がプロレスルールの勝者には決してなれない。

しかし、数ある異種格闘技戦の中でも常に猪木は相手の強さや、鋭さを際立たせて名勝負に仕立て上げ、次もまた見たいと思わせる、シリーズ興行とは別にステータスをスペシャルマッチとしてイベントを成立させた。そんなことが出来たのは猪木さんだけだった。プロレスのタイトル戦とは違う猪木にしか醸せないスペシャルイベントであった。

だからこそこの終末を迎えようとしている病との闘いも猪木の異種格闘技スペシャルマッチの乗りでできるのだ。

猪木には名勝負と言われるものが多い、古くはビルロビンソンとの名勝負や国際プロレス時代のストロング小林との一騎打ち、スタンハンセンとの壮絶なタイトルマッチ、アンドレジャイアント、ハルクホーガン、ビックバンベーダー等、数えたらキリがない、常に相手の攻撃をまともに受け相手の強さを十分見せつけて、負けない試合を成立させた。勝ち負けでは無く凄い試合を作り出すのだ。だから記憶に残る。

そんな格闘家はもう出てこないのではないか。

 

安倍元総理の国葬儀を終えて

安倍さんの国葬儀が無事終わった。日本らしく華美な装飾や演出も無く、淡々とシンプルに進行し、来場者の献花を以て終わると言うものだった。想定はしていたが、マスコミは独占中継を行ったが、民放は挙って「国論を二分した国葬」と言うアングルで構成しコメンテーターも同様のポジショントークをしていた。NHKも民放もこぞってである。葬儀の可否を問うのも違和感を感じる。モリカケ、サクラの乗りなのだ。いくらノーテンキな日本人でも、天皇陛下を頂く礼節と民族の統合を国体とする民族意識に馴染まない。

テレビは5分も見てれば嫌になり、YOUTUBEを見ることにした。予想通りLIVE配信していたが、殆解説もなく監視カメラの様にカメラを切り替えながらその時の今を映し出していた。BGVの様に国葬が着々と進むのが見れて、あたかも歴史の目撃者になったが如く時間を過ごすことができた。時折切り替わる一般献花の模様は長蛇の列で、いつ終わるとも知れない深い国民の悲しみを感じた。イギリスの女王陛下の国葬に比べても見劣りしない。その場に行けたら行くだろうか、平日に行くからにはそれなりの準備と調整が必要だろう。ましてや親戚や知人などではなく、行かなくても誰も非難などしない。それでも行きたい気持ちに押されて、行かなければ自分の気持ちが収まらない人達が粛々と並び時間を費やして献花するのだ。行かない(敢えて行けないとは言わない)私はどこか卑怯な思いがした。あれだけ安倍さん支持と 言うならば行くだろうにと、自分に問うてみるが、でも答えは「お前みたいな縁も所縁もない市民は行かないよね」となる。弔旗を掲げるのが精一杯である。だからこそ、この献花に行かれ25,000人弱の方々は尊い。日本人はまだ捨てたもんじゃないなあと嬉しくなる。

菅さんの友達代表の弔辞は泣けた、恋文である。愛していた事が正直に伝わる。その反動が憎悪と虚脱感なのだ。それを朴訥としたチョット聞き取りにくい滑舌で遺影に向かって読むその姿に拍手が巻き起こった。これがこの葬儀のまた、献花者の全てではないか。

岸田総理は臨時国会国葬儀の検証を口にしているが、お金が、いくら掛かったからどうの、決め方がどうのとか本当にどうでも良い。辞めて欲しい。安倍さんの成し遂げられなかった政治的課題に真摯に向き合い討議の場に付すのが、故人を痛みその意志を継ぐものの使命ではないか。



安倍元総理大臣国葬儀に思う2

 

国葬に至る思いは前稿で述べたが、安倍さんに対する思いを述べたい。

識者や有名人、政治家からのコメントはここ二か月で様々出ており、保守派からはほぼ事件以降も趣旨はから変わらず、より深い信望の思いを述べられているが、左派、共産系のマスコミや論客は微妙にその表現を変えて来ているのが判る。最初は神妙に故人を悼む言葉が聞かれたが、旧統一教会と言う格好の批判の的が出現したことで、その被害者を擁護する立場から反安倍、反自民の世論を上手く作り出す方向に向かった。これは彼らにすれば、千載一遇の盛り上がりの場を得たと言える。なぜなら、本来この旧統一教会問題も、被害者を出さない為にはその常識外の寄付行為や宗教によるマインドコントロールを如何すべきかであるはずなのに、何故か旧統一教会と言う団体、宗教のカルト性、それを支援団体として利用した政治家、特に自民党への非難へと話をすり替えてバッシングしているのだ。

まさに意図をもって誘導している者もいれば、雰囲気に呑まれて一緒になって煽っている事が冷静に見ていればよく判る。

私にすれば、この余りにも残念で口惜しい安倍さんの死を冒涜するノイズ以外の何物でもない。まだ、起訴されてもいない山上容疑者の真の動機やその背後が解明されていない限り、先入観を持ってこの犯罪者を蛮行を判断評価すべきではなかう。また単独犯かどうかも同様で法廷の場で明確にすべきである。

今思うべきは、不幸にも凶弾に倒れ帰らぬ人となった安倍さんの無念に心を致すべきなのではないか。安倍さんご自身も常にこのような暴挙の危険は政治家として持っていたと思う。しかし、この様な謂れのない恨まれ方で殺害される(山上のリーク供述に拠れば)とは思っていなかっただろう。

安倍昭恵夫人との朝家を出る時の会話や、その日にスケジュール等、こんな不幸を予見させるものは何も無かったはずである。死の予感があったり、その危険の予知を怠っていた為に起こったとはとても思えない。日本の日常にあってはならない凶行であり、それが易々としかも安倍さんに起きてしまったことの茫漠として恐怖は一体何なんだろう。

アメリカのトランプ前大統領などは反対派から相当バッシングや政治的圧力や謀略を受け、いつ暗殺事件が起きてもおかしくないと思われていただろうが、いくら反安倍が多くても、現実として安倍さんに起きるとは思ってもいなかったのだ。

神が平和ボケした日本人の危機意識を安倍さんの死を以て強烈に思い知らしたとした思えない。そう言う意味ではとてつもなくインパクトがあり、多くの日本人に響いたのではないか。

だから、私も日本人ももっと不条理な死や、黙って平和を甘受しているだけでなく、安倍さんの残した志半ばの「美しき日本」に近づくこと努力をする必要があるのではないか。

日本の総理は一年ごとに変わる時代が安倍さんの第二次政権が成立する前までは当たり前だった。責任を取らない、世論に流される政治は世界の二流国だった。長期政権はそれ故に安倍さんへの国民の支持の証であり、強い政治現れだったと思う。

その長期政権でも成し遂げられなかった安倍さんの目指した美しい日本、歴史を重んじ、正しく理解し、日本人として誇りと勇気を持って日本民族として生きて行く社会を作ることが大事なのではなかろうか。

以前、元沖縄県知事の太田昌秀氏の葬儀に安倍さんがモリカケでバッシングされているさ中、わざわざ沖縄まで出向き参列された際、私もたまたま仕事の関係で沖縄に行っていて、帰りがけ偶然、沖縄の那覇空港でお見掛けし、直ぐに近寄り、SPに護衛される中、握手を求めると、気軽に応じて貰い、「(モリカケバッシングに)負けないでください、応援しています」と言う私の言葉に、「大丈夫です。頑張ります」と力強く答えて頂いた。思ったより痩せていた感じがしたが、握手も声も力強かった。まあ、選挙の時も握手をして回るので、このようなものなのだと思ったが、時期が時期だけに力強い安倍さんが見れてホットしたのを覚えている。九州に在住する私が安倍さんとこの様な接点を持てたのは天の恵みだと感じ、一生忘れる事はできない。

安倍さんの遺志を継ぐのは誰だろうか、萩生田さん、高市さんは筆頭格だろう。2021年の自民党総裁選で注目を集めた高市さんには期待が集まるが、無派閥だけに強力なバックアップが必要だ。岸田政権が意外と長続きしないのは今の支持率の急落を見るとあながち無い話ではない。安倍氏の後ろ盾の無い自民党がひ弱に見えるのは私だけではなく、自民党すら安泰では無いかもしれない。しかし、安倍さんの信念、意思を継ぐ方が必ず国政において安倍さんの求めた「美しい日本」を実現すべく立ち上がってくれると信じたい。

明日9月27日に国葬儀が行われる。安倍さんを慕うものとして、日本人として、半旗を掲げて安倍さんの安らかなご冥福をお祈りしたい。

安倍元総理大臣国葬に思う1

 安倍元総理大臣(以下安倍さんと呼ばせて貰います)の国葬が9月27日火曜に挙行される。

山上被告による狂気の殺害の7月8日土曜日の昼、ニュースを見る為に付けたTVの緊急ニュースで知り、呆然とした。暫くはまだ生死が判然としていなかった為、一命を取り留めることを心から祈った。しかし、射撃された後の緊急処置が不明な中、30分以上経って橿原市の病院に搬送されたのを見て嫌な予感がした。

結果、夕方には死亡が確認され、7月8日の午後はまさに悪夢の展開だった。一市民の私にはじっと状況を見るしかなかったが、政界人、識者の反応は、この暴挙を非難し、故人を惜しむ言葉が相次いだ。怒りとか悲しみとかより、とにかくこの不条理に何故安倍さんがそんな目に合わなければならないのか、この現実は余りに空しく、受け入れられない思いで一杯だった。

犯行のあった奈良大和西大寺駅は数度通過した程度だが、地方都市のハブ的駅前で人通りもあるので、演説ポイントとして選ばれて当然と思うところである。しかし、元総理大臣が演説に立つのであれば、警護に関して余りに手薄で、平和ボケしたとは言え余りに情けなく恥ずかしいレベルの危機意識であることが露呈したばかりでは無く、その後すぐ当該主幹県警から飛び出す犯人の供述内容が変に出来すぎていて驚いた。どう考えても責められるべきは山上本人であり、それを防げなかった県警、SPであるはずが、何故か旧統一教会が山上母子をして犯行をなさしめた原因と言う方向に向き始めるのだ。また、元海上自衛官であるとか、元統一教会への寄付で破産したのが20年も前であるとか、安倍さんに私怨は無いが、旧統一教会イベントへの祝辞のスピーチ動画を送った事で殺意の対象となり、綿密に準備をして実行に及んだと言うリーク情報が面白いように出てくるが、どうも変である。直接旧統一教会に向けるべき憎悪の念が、常識として山上が殺害を実行するほどの情念を安倍さんに向けるとはどうしても考ええないものだった。このモヤモヤ感はネット上の保守派論客人の中で直ぐに共有された。それどころか、数日して明確になる手製散弾銃による発砲自体の不自然さや、致命傷となる銃弾が出てこない事、死亡時点での医師の所見と警察の発表の矛盾もこんな白昼衆人の前で起こった事件の死因すら疑似を呈する説得力のある意見が出ていた。

予想通り朝日、毎日、東京新聞などは安倍氏自民党、旧統一教会を結び付けて、モリカケ、サクラの乗りでプロパガンダを始める。左翼連中も当初の弔意からいつものアベガーに戻って行った。いったい死者を悼む日本人の心はどこに行ったのか…それはさておき話を戻す。

 この暴挙が参議院選挙のさ中にあり、弔い合戦でしっかり勝利した自民党総裁の岸田首相が程なく「国葬儀」を決定した。これには保守国民は空虚感の中、幾ばくかの慰めを感じた。しかし、この国葬+儀と言う言葉に若干違和感を感じた。国葬で良いではないかと思ったのだ。この「儀」と言う一文字で、これが宗教色を帯びない儀式典礼であることを担保していると言うのは、その後の識者の説明で判ったが、該当する法律が無い為、国の式典一般を閣議了解で決定できるとする内閣法によると言う事だった。

まあ税金を投入するからには法的根拠が必要なのは当然だが、日本として国を挙げて故人を弔う事には変わりなく、安倍さんは国葬に値する人物であることに疑いは無い。逆過去の総理経験者にれに相当する人物を思い浮かぶかと言うと思い当たらない。戦後の吉田茂国葬であったが、では祖父の岸信介はどうだったか、やはり国を二分する日米安保条約を締結した傑物であった。また、佐藤栄作中曽根康弘元総理はどうなんだとなる。実際、当時の政府の答弁書自民党内閣合同葬とか国民葬とかいろいろのカタチを相当とする記載があり、読めばなるほどと思われるが、安倍さんとの明らかな違いは、この悲報が触れた各国が即弔意を示し、国として喪に服する等、今まで歴代の総理には無いくらいの世界への影響を及ぼした方であり、更に不条理な暗殺により命を奪われたと言う事だ。これだけで国葬として弔うのは当然では無いか。前例がないことが、該当しない理由にはならない、ましてや国会ので討議すべき事か、多数決で決することではなかろう。これこそ、日本人らしく根回しで合意し、時の内閣が閣議決定するので良いのではないか。(岸田政権が各所に根回ししなかったのは、このごたごたを招いたと思う)

一にも二にも判断は間違ってなかったが、初手の根回しが必要だった。世論調査でも国葬に同意する意見が半数に上っていたし、マスコミ、野党も同情的で一気に合意を取れていれば、今の様に死者を冒涜し、海外から訝しく思われる状況にはなっていなかったはずだ。まずは国葬迄の顛末の所感とし、安倍さんを悼む思いを次の稿に託すとする。