ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

大宰府 坂本八幡宮神社(令和起源)に行ってきました。

 

 

令和起源の神社 坂本八幡宮神社

今日2021年5月10日 ゴールデンウィーク明けの福岡県太宰府の坂本八幡宮神社に行くことにしました。福岡に住んでいるので、令和起源の坂本八幡宮神社に一度は行っておこうと思い、春風が気持ちの良いこの時期を選んで、コロナ渦の緊急事態措置期間の始まりが12日に控えて、気分的にその前に行くこととした。

坂本神社周辺には大宰府政庁跡が徒歩5分圏にあり、駐車場もあるので、坂本神社に車を置いて、大宰府政庁跡を一緒に散策しようと言う予定で、時間があると思うので、その後足を延ばして大宰府天満宮等近隣の神社に行くこととした。

住まいの福津市の自宅から車で大宰府古賀線で行く(1時間)か、九州自動車(40分)を使って行くかで随分所要時間が変わってくる。今回は時間があるので、一般道の大宰府古賀線を行くこととした。この道路は、今片側二車線化を進めており、尚且つ、九州自動車と交差する粕屋町交差点では篠栗町側に若干迂回して高架立体交差させることで、混雑を緩和する工事を進めており、8割位完成している。この複線化と粕屋町交差点高架立体交差化が完成すると、一般道でも10分程度は短縮されるのではないかと期待される。

ちなみに、JR福間→博多駅地下鉄→天神西鉄大宰府→徒歩20分と言う方法もあるが、これは2~3時間コースになるので、論外である。

当日は天気も良く、昨日まで黄砂が酷かったが、ちょっと収まった感じで、北部九州は黄砂が酷いときは空が薄黄色になる様なところなので、花粉症の私は気になるところであったが、一安心であった。

朝10時スタートで現地到着11時頃で、月曜ではあったが、粕屋町交差点の混雑の影響で少し手間取った。初めて行くところであったが、大宰府政庁跡と隣接した、奥側に位置する小さな神社であった。よく、都府楼政庁跡は大宰府市役所に近いこともあり、仕事で訪問した際にはよく通る道路に面した、西鉄大宰府駅にも近い場所にある。駅からだと20分程度は歩く距離である。

目的の坂本八幡宮神社に到着したが、コロナ禍の平日でもあり、2人、3人と入れ替わりで来る程度で閑散とし、小さな神社なので参拝には丁度良いと感じる程度の参詣者であった。

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写真の通り小さな神社です。令和元号で一躍有名になったこともあり、石碑や説明書きが真新しい感じでした。社務所が赤白横断幕で囲われておりますが、コロナ禍で閉鎖中でした。とても静かな感じで、多分令和騒ぎがなければ、今でもこんな感じだったんだろうなぁと往時を感じる思いでした。

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google Map

参拝はアッという間に終わってしまいましたが、ここから駐車場を挟んで、都府楼政庁跡を散歩できる。

大宰府都府楼政庁跡》

駐車場から2分ほど歩くと、政庁跡の裏側から礎石跡の公園に出ることができ、天気がとても良かったので、そこでハイキング気分で持参したお弁当を食べた。広々として、都会の喧騒はそこには感じないとても気持ちの良い場所である。とても手入れが良いと言う程ではないが、観光地になっているので、遊園地レベルの小綺麗さである。そこで一服しても参拝から1時間ちょっとである。

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都府楼政庁跡

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都府楼跡で遊ぶ家族

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礎石跡

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碑石

予定通り大宰府天満宮に向かうことにした。歩いても行けないことは無いが、20‐30分は歩くので、西鉄大宰府駅の周辺のパーキングに車を置く事とした。大体1時間200円で上限300円まで等と駐車料金は安い。駅と表参道がほぼ直結している様なもので、駅からすぐに、表参道の土産もの、大宰府名物梅が枝餅屋などが並ぶ、昨今、ファッショングッズや、大分県由布院でも出店していたが、スタジオジブリショップなどいろいろ、外人・若者向け店が並ぶ。

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大宰府天満宮参道

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こじゃれたショップ

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天満宮入り口鳥居

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太鼓橋から見た天満宮

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google Map 大宰府天満宮

表参道の人もそんなに多くない、店にも混雑も無く、締めている店も見受けられる。個人的にはこの程度の人出が多くも無く、また閑散とした風でもなく丁度良い。
参道には「縁切り橋」と言う言い伝えを昔から聞きます。

出所は不明ですが、学問の神さまとして親しまれている太宰府天満宮菅原道真公の人生が陰謀と挫折の繰り返しで、都より慕って飛んできた「飛梅」が知られている様に、曰くつきのジンクスが出てもおかしくないのは判る気がする。
《由来》
菅原道真公は、幼少期より学才があり、若年にして右大臣を受官し、朝廷内の重要ポストに上りつめたが、その出世を妬まれ、無実の罪を着せられ、無念のまま九州太宰府流罪となり、その一生を大宰府の地で終わった。死後、疫病や異常気象など不吉なことが多発し、道真の怨念が朝廷に祟りをなしたとされ、怒りを沈んめるため、天満天神としてお祀られた。また、日本三大天神菅公聖蹟二十五拝のひとつで道真墓所

そういう意味では太宰府天満宮よりもっと山の奥の方に結構有名な縁結びの神社竈門神社」があり面白い取り合わせである。丁度帰り道になるので、こちらも立ち寄ろうと思っている。

ちなみに菅原道真公が主祭神 ことは、一般の神社で天神様として天津神を祭っている神社とは異なり、飽くまでも菅原道真公を祭る際の名称で、京都の北野天満宮は永延元年(ちなみに菅原道真公が主祭神 ことは、一般の神社で天神様として天津神を祭っている神社とは異なり、飽くまでも菅原道真公を祭る際の名称で、京都の北野天満宮は永延元年(987年)勅祭され一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号を与えられている。

 境内に向かうと、今は手水舎(てみずや)」には柄杓も無く、コロナ対策で竹の筒から流れる流水で手を清める。コロナ禍後もこのように簡略化されていくかと思うと、手洗いの手順や、その意味合いも忘れ去られて行くのかとちょっと寂しくなる。

そもそもは「(みそぎ)」という儀礼が風習化であり、古事記に出てくる黄泉の国より急ぎ帰るイザナギノミコトが「わたしは、とても汚く穢(けが)れた醜(みにく)い国へ行ってしまったので、みそぎ(禊ぎ)をしなければならない。」とおっしゃって、日向(ひゅうが)の「橘の小門の阿波岐原(たちばなのおどのあはきはら)」にお出ましになり、みそぎをなさり、十二柱の神々が出現した神話に発する儀式で、神社での所作が神話に遡るとても大事な作法だと思う。

お参りの仕方は割愛するが、左手によく手入れされた「飛梅」が植えられており、反対側は皇后梅が植えられていて「きさいのうめ」と読むそうで、1922年(大正11年)においでになられた貞明皇后が、葉山御用邸よりご持参された梅の木をお手植えになったものだ。

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社殿右飛梅

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社殿左皇后梅(きさいのうめ)

さて、天満宮の良さはここだけでは終わらない。社殿裏にでると、樹齢千五百年を超える夫婦大樟や、末社は歴史を感じ、見ごたえがあり、よく維持されている。

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そして奥には茶屋が並ぶが天開稲荷神社に抜けるなだらかな坂道上にある和歌にも歌われた「お石茶屋」で梅が枝餅を是非食べたいところであったが、コロナ禍で休業中であった為、表参道に戻る事とした。

ここで外国人留学生と見える三人の女性から声を掛けられ、写真の石碑の近くにある小奇麗な小さな小屋から音がするが何かと尋ねられた。パキスタンから来て三年と言っていたが、しっかりした日本語を話されていたが、神社の概念は説明しにくかったが、この小屋はどうも地下水を汲み上げるポンプのようであった。(時折動力の音がする)

今はコロナ禍で学校が閉まっていて、空いた時間で地元の名所を散策しているようであった。よく見渡せば、他にも同じような数組外人さんのグループがいた。インスタにでも上げるのだろうか、至るところでポーズを取って写真を撮っていたのは良いが、出来れば最低限の作法は知って欲しいものである。

表参道に戻り太宰府梅ヶ枝餅かのやで梅が枝餅をを頂いた。ここも老舗で、店の奥ちょっとした庭園の茶屋で食べることができる。グルメアプリで見ても4ポイント以上の評価で、餅の舌触りと、甘すぎない餡がとても上品であった。

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太宰府梅ヶ枝餅かのや

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かのやの中庭

大宰府の参道を出て、帰路に就くことにしたが、先ほども触れたが、縁結びの竈神社に寄ることとした。大宰府天満宮から車で6分ほどで、小山の上に祭られており、トレッキング等で寄ったり、縁結びで有名なので、若い女性グループ、カップル、最近は鬼滅の刃の主人公の名前と同名であることから、熱心なアニメ信者が参拝に来たりしていると聞く。

判りやすい一本道であったが、普段であれば、行楽シーズンでもあり季節の植物が茂る今の時期は車で来る人も多く、駐車場は第三駐車場まで混むと聞いていたが、この日は山門入り口の直近駐車場が空いていた。料金は400円とちょっと高めである。

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竈神社山門前

参拝は初めてあるが、かなりオシャレな神社で、歴史もあるが参拝客の年齢層などを考慮した外観にしたのであろう。

HPではその判りやすい説明があったので掲載しておく

主祭神玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りしていることから、魂(玉)と魂を引き寄せる・引き合わせる(依)という御神徳を慕われ、古くから「縁結びの神」として広く信仰されてきました。「縁結び」とは、男女の「良縁」をはじめ、家族、友人、仕事、自然などとの良いご縁を結んでいただける神様として広く親しまれています。
  また古くは、大宰府政庁の鬼門除けとして、また、大陸へ渡る人々がこれから進む航海(道)の安全と事業の成功を祈願したことから「方除け」、「厄除」の信仰も篤く、現代においても、新たな生活をはじめる方や、人生の節目を迎えた方々などが参拝に訪れ真摯な祈りが捧げられています。

 創建以来千三百五十年を越える長い歴史を引き継ぎ、これから未来へより一層信仰の輪を広げ、多くの人々の神様として、親しまれていくことを願っています。」とのことである。(https://kamadojinja.or.jp/history/

とにかく社務所が近代的で、中に巫女さんが居なければオシャレなブテックに見える。

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オシャレな手水舎

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社務所(HPより)

それはそれでちょっとした驚きであったが、本殿は至って普通で参拝者のそれほど多くなく良い神社だと感じた。

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本殿

社務所したのテラスから大宰府市街が眺望できる。

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大宰府市街眺望

ご神獣であろうかゲージに一頭のシカが飼われていた。一頭と言うのがどうなのか、捕獲されたのか?そもそも、この辺りにはシカやイノシシが結構いる気がする。

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朝10時ころから出て竈神社を出たのが3時過ぎ位で、家に着いたのは4時前と言った丁度半日の小旅行であった。天気が良い参詣日和であったが、この時期の紫外線は意外と肌には刺激があったようで、若干疲れたドライブであったが、久々に心が清められる一日であった。

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