ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

東京オリンピック開会式を見て思う事

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一言で言えば、このオリンピックは本当に「しょっぱい」オリンピックだ「シンドイ」と言っても良い。57年経って、改めて日本に戻って来たオリンピックは、東京が数度のチャレンジで獲得できたチャンスだった事はもう過去の話。

石原都知事がぶち上げたオリンピック招致が3代を経て、開会した訳で、もっと待ち遠し感があっても良かった。国立競技場の建て直しにミソを付けたかと思うと、エンブレム疑惑、都知事選に絡む、豊洲の移転の騒動と言い障壁だらけだった。

青島都知事の時だったか、埋め立て地利用で博覧会招致だったか、断念を公約として当選したのは遠い記憶だが、この大都市でのこう言った国際的大イベントには利権や、政治的思惑が関わりすぎてガバナンスの弱い日本ではスンナリまとまる事が難しいのだろ。この大会を最後にオリンピック招致熱が冷めてきているのは何か因縁を感じる。

そこにコロナ禍である。左翼活動家の反日工作も活発に幾重にも仕組まれた政府批判やマスコミの視聴率や購読者囲い込みの世論誘導は、脱炭素や脱原発、親中、親韓連中が共闘して政府批判、中止運動はホントに目に余るほどである。

コロナ自粛で鬱になるより、この反日、グローバル主義勢力の陰湿な話題で辟易して気持ちが萎える。

日本を愛する気持ちのどこが悪いのか。57年前のオリンピックはネガティブな部分はあるだろうが、振り返ると戦後の日本の復興を象徴する様な前向きで希望の満ちた、日本を誇れる大会だった。

2020東京五輪で、菅首相が、世論が二分された事に恨み言を言っていたが、それもほんの一部の扇動者による世論誘導だ。

大方の日本人はスポーツの祭典を単純に楽しみたい。国際的な舞台で日本人の活躍応援したい。日本を誇りたいと言う気持ちでは無いか。

無観客試合が良いか悪いかにおいては、やはり政権が選挙を見据えて、リスクを回避したとしか思えない。総選挙のタイミングが菅首相誕生時直後を唱えた識者がいたが、今思えば、あそこで勝負していれば、このオリンピックはかなり勇気を持って通常開催に持って行けたのではないか。

通常開催に拘った安倍前首相が掛か開会式に出席しなかったのは、悔しさがにじみ出ている。

また、直前の森大会会長の辞任や、音楽プロデューサーや演出監督が引きずり降ろされたのは、もう滅茶苦茶である。他の大会でもスンナリ行った大会は少ないのは理解している。しかし、いずれも中止に追い込むと言うより、貶めているだけである。

開会式の内容は、テーマ的にもコロナ禍を意識しての凝った演出であることはよく判った。アニメ文化の中心地日本を意識した部分も判るが、吹き出しの各国プラカードや、とかく洋楽ばかりがメインの曲選びには、違和感を感じざるを得ない。

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吹き出し国名を記することで、何を意味するのか?そんなことより、和のテーストをもっと入れるべきではないか。桜や富士をイメージした入場コスチュームを着た外国団体があった位だから、日本に求めるイメージを素直に表現すべきだったと感じる。

漫画を発信している国かもしれないが、飽くまでもサブカルチャーである。日本には古くからので伝統や、オリンピック競技では無いが、相撲の様な伝統格闘技もある。なぜそういったものをもっと前面に出さないのか。

派手さを競うのは不要である。地味でも良いから、東京五輪エンブレム様な落ち着きと和の重みを出すべきだった。劇団ひとりの演出も軽すぎる。

聖火点燈ランナーに長嶋・王・松井と並べたが、痛々しかった。気持ち的には懐かしいとか元気な姿が見れたより、見たくなかった。

大坂なおみの最終点火には、そこに来たかと言う印象だ。確かに日本人初と言う冠には申し分ない。だったらゴルフの松山でもいいよと思うし、彼女がメンタルな問題でツアーを途中欠場した経緯からして、力強さを感じない。どちらかと言えば、流行りのダイバシティーとかBML運動とかを想起させ何かリベラル臭がする。

いずれにしろ、いちゃもん続きのこの高いだが、日本人の活躍が全てであり、観衆や、組織云々は器に過ぎない。中身で勝負してほしいと切に願う。