ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

猪木イズム1

アントニオ猪木が亡くなった。今年になってYOUTUBENHKのBS企画番組で猪木の闘病を扱ったドキュメンタリー「燃える闘魂ラストスタンドアントニオ猪木 病床からのメッセージ」や佐山サトル(初代タイガーマスク)のアナザーストーリー「タイガーマスク伝説 愛と夢を届けるヒーローの真実」を見て、往年のヒーロー、若き日に憧れである猪木や佐山サトル自身の思いや情熱を投影したヒーローの落日の晩年の姿を知るに至った。ああ、自分も年を取り往年の若さや体力は無くなったが、あのヒーローも悲しい晩年が待っていたんだと実感した。どちらも見終わった後にまだまだ頑張って、往年とまでは行かなくても、在りし日を彷彿させる勇姿を見せて欲しいと思う反面、これ以上先の姿を見たくなかったと言う気持ちがあった。いつまでも自分のヒーローであり、仮に病魔に侵されて、より変わり果てた姿を見るのであれば、もうここで良いと気持ちからだ。いずれも進行形で戦い続ける姿で終わっていたからハッピーエンドでは無いのだ。立ち向かう姿をそのまま見せて、共感させる終わり方なのがどうしても気持ちを重たくさせる。猪木さんに至ってはその不幸な結末が早すぎる。悲報を知ったここ二三日でアップされる猪木さんを悼む動画を見るに、初めて知る事もあり、波乱万丈人生であることは判っていたが、唸ってしまうほど常人fのそれとは違っていた。つまり、色々な局面で、猪木さんは「アントニオ猪木」だから、こうでなけれなならないと言う強い信念があり、色んな選択をしてきたと言うことだ。普通なら、避けて通る様な、また常識的には進まない道を敢えて進む。色々問題や課題、リスクはあるが、猪木の座右の銘とも言える。一休禅師の「道」の教示は迷ったら一歩踏み出し、踏み出せばその一歩が道になると言う発想が判断基準であり、わかない時は直感に従い、一歩踏み出す、一歩踏み出すことに迷わないと言う事なのだ、だから大損もすれば、誤解もされ、非難もされる。しかし、本人の信念や考え方からの結果結末だから猪木は後悔しない、全てを受け入れると言う男気なのだろう。やはり常人では無かった。それを全うした人だ。次は佐山さんだなぁと直感した。

佐山さんはある意味猪木さんと同種類の人だったと思うが、前田日明は違う人種である。しかし同じプロレス村の住人で、頂くはアントニオ猪木だったはずである。猪木や馬場は常に定規の様に色んなレスラーを測る物差しだった。強いとか弱いとかでは無く、猪木を超えるか、馬場を超えるだけの評価を、ファンを得られたか、知名度、市民権を得たかなのだ。そう言う意味で佐山も猪木臭がする。しかし、天才レスラー格闘家の域を出なかったと思う。逆に前田日明は強い格闘家であったが、天才とは違う。地震の格闘人生のリタイヤもレスラーにしては早かった。その代わり、理想とする団体、組織、ネットワーク作りに情熱を燃やし、どちらかと言うと政治家タイプだ。

馬場猪木と同世代人が既に中年以上で自身の半生を語る立場が多くなると、そこに多少なりとも、若き日に熱狂したことを引き合いに語る時、馬場猪木を語る人は少なくないだろう。例えば、野球で言えば王や長嶋さんの思い出を語るのと似ている。

猪木さんが難病全身性アミロイドトーシスとの闘いがでの最後となったが、この病気は安楽死なんてさせてくれない、絶望の中で諦めて死んでゆくような病魔だ、アミロイドと呼ばれるナイロンに似た線維状のたんぱく質のかたまりが、全身のさまざまな臓器に沈着し、体の異常を起こす病気で段々臓器が機能不全になり、徐々に動くことも喋る事もまた、食べる事も出来なくなり死んでゆくのだ、まさに絶望と諦めの中の死と言って良いだろうに、猪木さんは発病からYOTUBEに最後の闘魂と銘打って露出を増やして、自らの死との戦いを記憶として残していった。

死とも戦うその姿を見せつけて死んでいったのだから凄まじい。

生涯4人の妻を持ち3人の子供がいたと言うが、表に出てきたのは倍賞美津子とその子の寛子さんくらいか、猪木が一番輝いていた時の妻の美津子さんは記憶に残っている、私たち心に残っている猪木さんの強かった時の姿だ。最後の妻はすい臓がんで2019年に先立っているので、寂しい死だと言わざるを得ない。しかし、弱い死ではなかった。最後まで弱い自分を見せつけて戦う姿を見せつけるのが、マット上の燃える闘魂を病床で見せつけているのだ。

現役時代もかなり体を酷使しており、色々と怪我も多かった、怪我を押しての闘う姿にも、ハラハラさせられ試合の行方にのめり込んのを覚えている。

異種格闘技戦はプロレスファン以外の格闘技ファンにも物議をかもして注目を集めた。プロレスの様なルールが有って無いような「3秒ルールの何でも有り」と厳格なルールに縛られた格闘技との闘いが成立するのかと言う問題である。どの格闘技が一番強いのかなどと言う無邪気興味では無く、試合として成立するのか、成立しても凡戦?になるのでは無いかと言う不安である。ルールを厳格すれば、競技となり勝ち負けはルールによって下される。しかしプロレスに寄れば、面白くはなるが、勝ち負け、強い、弱いは曖昧になる。猪木さん以外にもこの異種格闘技戦に乗り込んだレスラーはいる。なんとあのジャイアント馬場も行っている。しかし、案の定ほとんどの格闘技戦はプロレス側が相手のルールに寄ると言うより、プロレスに引き込むと言う流れが多かった。猪木さん以外には前田日明のドンナカヤニールセン選は名勝負と言えるだろう。後のUWF、リングス像が浮かぶ試合だった。これなどは格闘技ルールにプロレス側が寄っていった流れだが、そこでの勝者がプロレスルールの勝者には決してなれない。

しかし、数ある異種格闘技戦の中でも常に猪木は相手の強さや、鋭さを際立たせて名勝負に仕立て上げ、次もまた見たいと思わせる、シリーズ興行とは別にステータスをスペシャルマッチとしてイベントを成立させた。そんなことが出来たのは猪木さんだけだった。プロレスのタイトル戦とは違う猪木にしか醸せないスペシャルイベントであった。

だからこそこの終末を迎えようとしている病との闘いも猪木の異種格闘技スペシャルマッチの乗りでできるのだ。

猪木には名勝負と言われるものが多い、古くはビルロビンソンとの名勝負や国際プロレス時代のストロング小林との一騎打ち、スタンハンセンとの壮絶なタイトルマッチ、アンドレジャイアント、ハルクホーガン、ビックバンベーダー等、数えたらキリがない、常に相手の攻撃をまともに受け相手の強さを十分見せつけて、負けない試合を成立させた。勝ち負けでは無く凄い試合を作り出すのだ。だから記憶に残る。

そんな格闘家はもう出てこないのではないか。