ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

猪木イズム2

猪木イズム1の続きとなるが、このアントニオ猪木と言う人を私はどう理解し、捉えているかを語りたい。

今になるとあの名勝負の裏話や、そこに至る背景、猪木さんの狙いなどが、その時の当事者や猪木さん本人の談話から知られることが多い。当時はそんなことは全く知らずに、ワクワクドキドキしながら、不安と期待の思いでテレビをじっと見つめていた。結果はいつも期待通りとは限らない、特にシリーズだったりすると、最初はヤキモキ、ガッカリしながら見ているが、次にきっと応えてくれると思いを馳せた。当時既にプロレスが「八百長」と言うレッテルを貼られ、新聞紙面やテレビのスポーツニュースからも試合結果を報じれる事が無くなり、世間から冷ややかな興行として扱われるようになっていた。

プロレスファンは他のスポーツファンとは違う括りで見られていた。確かに、場外乱闘は当たり前、ルールは有って無いようなもので、3カウント以内なら反則でも許されてしまうスポーツ等邪道だし、いくら興行とは言え、客を笑わせるようなアクションや、トリッキーな動き、パフォーマンス等勝負を競う競技とは程遠い。しかし、客に与えるインパクトや感動は選手と観客が一体となる興奮の中で誘ってくれる。こんな心地よい時間は一旦ハマってしまうと抜けられない。特にファンにとっては、当然そこにお気に入りのスター選手がいてからの話である。つまり、当時のプロレスファンにはお気に入り選手が必ずいた。日本プロレスの正当な流れを汲む全日本プロレスであればベビーフェイスの馬場や鶴田や三沢やドリーファンク、ミルマスカラス言ったところで、対する新日本プロレスでは猪木であり、藤波、タイガーマスクであった。

日本のプロレスの元祖は力道山であった事は誰でも知っている。その死に方が暴漢による傷がもとで亡くなり、その後の団体維持もままならず、当時市民権を得ていたプロレスもその地位を追われる事になる。しかし、全日も新日もゴールデンタイムの週一放送が長く続いたので、お茶の間での有名人であった。

新日プロレスは猪木、坂口、藤波等の日本人レスラーとタイガージェットシン、スタンハンセン、ハルクホーガン等の強豪外人レスラーとの対抗戦で黄金期を迎えると、更にタイガーマスクの登場で絶頂期を迎えた。アニメキャラクターを登場させると言う画期的な演出は低年齢の子供から女性の方にまでファン層を広めた。これは、佐山サトルと言う天才だからこそ演じきれたキャラクターではあるが、明らかにプロレスのスタイルを変えた。従前のプロレスファンや、プロレスを冷ややかに見る向きは、「サーカスプロレス、アクロバットプロレス」と酷評し、プロレスファンは、プロレスの醍醐味はヘビー級でジュニアでは無いと言う。たしかに、軽量級のレスラーのテンポの良いアクロバティックな動きはメキシコのルチャリブレに代表されるが、その見応えとタイガーマスクのそれとは一線をかくしていた。かつてグランド技やスープレックスの名手はいたが、キックや切れのある投げ技や跳び技を繰り出す選手はいなかった。その道のエキスパート例えば、ボクサーのパンチ、ムエタイの蹴りと比較しても遜色がない。しかもスピードとテンポは群を抜いていた。運動神経が半端ないとしか言いようがないバランス感覚であった。ダイナマイトキッドのデビュー戦のインパクトがその後ブームの点火となったが、まさにマスクの出来を覗いて満点の出来では無かったか。

このブームは新日本プロレスを一気に飛躍させた。猪木は社長として会社経営が安定すると、当時から熱心に投資していたサブビジネスの数々の事業の中のアントンハイセルの成長を夢見てかなりの投資を行い、ワンマッチ1千万の放映権料と言われた収入が回され、体を削って名勝負を繰り広げるレスラーからすると面白いものでは無かっただろう。しかし、猪木さん自体は経営が厳しいとき裕福なときも、レスラーを養い、鍛え、より世間にPRできればそれでよく、それ以上レスラーたちの気持ちを汲むことは無かったのだろう。猪木さんにとって稼いだ金の色は無く、使えるお金を回してゆけば良いと言う感覚だったのだろう。全てが同一線上にあり、全体が回れば良しと言う感覚なのでは無かったか。レスラーの不満の気持ちもよく判る。

猪木さんがそう言う人であることに何の違和感もないのだ。多分周りの社員もレスラーもそう思ってたんじゃないか。しかし、この内輪もめから、派生したタイガーマスク離反、前田日明の離脱は維新軍団や、国際軍団とは違う。TVをバックにつけるでも無く、団体を立ち上げた。UWFやLINGSを生み、新たな格闘技文化を咲かせたのだ、何とも運命的なものを感じる。後に、これはTVとの独占契約との問題があり、新日の子会社との位置づけになっていたそうだ。しかし、プロレスの方向性が明らかに違ったUWFのちのUWFインターやリングス、藤原組など様々に分化したが、このプロレスの純格闘技化は海外で注目もされ始めた、グレーシー一族の名を一気に広めた総合格闘技イベントUFCの登場で日本のみならず世界的な総合格闘技がプロレスを超えたジャンルとして確立したことにマッチした。

これは既に猪木の提唱する総合格闘技たるプロレスではない。だから猪木の弟子の桜庭とか高田とかリングスメンバーが積極的にUFCに参加し、これを物差しとして、自身の所属する団体の㏚を図ったが、イベントとしてはそれなりの集客や視聴率を取るものの、ブームを起こすほどのことは無かったと感じる。熱狂的なファン層はいたと思うが、プロレス程その裾野を広げることは無かった。リアルな真剣勝負の緊張感を醸し出すものの、皆がその戦いにのめり込んでスイングする感覚を持てる様なものでは無かった。

猪木の目指すプロレスはどこに行ったか。今のプロレスは新日の若手世代による何度目かのブームを起こしていると言う。既にテレビマッチが無くなって久しいので、限られた有料のチャンネルで見るファンや、会場に足を運ぶ熱心なウォッチャーは確実に存在し、堅調であることは間違いない。内容もタイガーマスクの作りあげた異次元空間を醸し出すような驚くような技もより進化している。

そう言う意味では従前のプロレスを踏襲発展していると言って良い。ただ、もうそこには猪木プロレスは存在しない気がする。明るく楽しいプロレスは有っても、怒りを視聴者と一緒に発散して、レスラーに自身を投影する様な時間の共有が無いように思う。これは既に世代の問題かもしれない。だから猪木世代の私たちのプロレスはもう二度と来ないと言う事だろう。私たちの猪木プロレスはリアル猪木であり、猪木の死をもって終焉するのだと思う。

私は中学校の頃から武道・格闘技との関わりがあり、警察の柔道場に通ったり、少林寺拳法の道場に通ったり、大学では少林寺拳法部に所属していたが、プロレス熱が一気に高まった時期であった。格闘技とプロレスとは違うものであるが、「闘う」ことの根源となる「怒り」=ルールの中で目一杯自分の力を発散できる場が格闘技の道場の場であり、それを投影できるプロレスの試合だったのだ。その時の猪木の雄たけび、怒りに満ちた目線、「誰の挑戦でも受ける」と見得を切る勇姿を見てシンクロする自分を見たのだ。野球ファンなら王、長嶋、相撲なら大鵬と言ったところか、そういう意味で、自分が若かりし日々に全盛期の猪木さんであり、村松友視氏の「私プロレスの味方です。引用午後八時の理論」でいう。より文化的なあいまいな空間を提示してくれたアントニオ猪木に感謝する。

猪木さんはよく言われる事だが、ファンサービスの塊だと言う。そういう意味では相手の気持ちが判る優しい人で、「どうだ俺カッコいいぞ」と見せつけるナルシストであり、「迷わず俺について来い」と言うカリスマリーダーだったのだ。

晩年の猪木は「昔の名前で出ています」的な扱いの場であっても、後ろめたさも無く、悲哀も無く、堂々と「アントニオ猪木」を演じている。老いを見せるも、飽くまでもイメージを変えないため、白髪染めにも余念がない、赤いタオルは必須アイテムである。死ぬまでアントニオ猪木アントニオ猪木のままでいる事を選んだのだ。それはファンが望むアントニオ猪木である。猪木ファンの許容範囲は広いので文句は言わない。それは猪木とファンの「お約束」なのだ。

そう「お約束」を満喫させ、俺はこんな人間だよ。ついて来るならついて来い。名に悩んでるんだ、一歩踏み出せばすぐに判るよ。さあ行こうと言ってくれる存在なんです。

「らしさ」を最後まで突き通した人それがアントニオ猪木だった。ありがたい存在だった。ご冥福をお祈りする。