ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

2023年初詣

大宰府天満宮

新型コロナに罹患してスタートした2023年であるが、昨年来より約束していた旧友の来訪を機に一緒に初詣をすることにした。1月26日から28日までの3日間であったが、10年に一度レベルの寒波到来で、東京から来福するにあたり、飛行機の発着が危ぶまれたが、前日がピークであったこともあり無事日程を熟すことができた。

一晩を拙宅で過ごすことになったので、横浜在住の彼には珍しいだろうと近隣の薬王寺温泉に連れて行った。ここは薬湯で有名であるが、ちょっと温めであったが、とても肌には良さそうで、ピリピリする感触である。彼はとても満足気で、寒さが厳しいだけに余計に嬉しかったようだ。

拙宅には多少の拘りがあり、築10年経つが、在来工法、自然に近い建材や素材、太陽光は屋根への負荷と工業製品としてのパネルの安定度に関する不安視から付けない事、主暖房は薪ストーブを据える事だった。1年ほど色んな工務店やモデルハウスを訪問し、無添加住宅を選択した。「在来工法、無垢材、漆喰」とほぼ条件を満たし、設計の段階で薪ストーブありの前提で注文できたのでほぼ満足である。注文住宅ゆえに、趣味の陶芸や油絵、木彫、トンボ玉造りができる趣味の二坪の玄関続きの土間部屋が作れたのがリタイヤ後多くの時間を費やす一番大事な部屋となった。

と言う拘りの造りのシンボルが薪ストーブな訳である。この日の寒さを考えると目一杯運転しないと18畳の居間全体には暖が行き届かない。しかも二階の部屋を暖める為、煙突部は吹き抜けにしているので、余計に暖気が上に逃げていくので、ちょっと納得は行かないものの、心地よくお客を迎える為、エアコンも掛けての二重暖房となってしまった。ちょっと興ざめである。しかし、客は想像以上に薪ストーブに魅入られた様で、食事後には部屋を移して畳間で寛ごうと促したが、薪ストーブの薪の火を見ていたいと言って動かなかったほど気に入って貰えた。そんな雰囲気で明日以降の初詣スケジュールを説明したが宮地嶽神社宗像大社筥崎宮大宰府天満宮→坂本神社と言う、北部九州では特に有名所を巡る事とした。

宮地嶽神社 奥の宮

27日は雪がちらつく曇り空であったが、その分1月の宮地嶽神社にしては参拝者は少なめの様に感じた。あまり知られてないが、宮地嶽神社の大注連縄、大太鼓、大鈴は宮地嶽神社の「3つの日本一」とのことで、奥の宮には古墳石室があり、300点程の埋蔵品が発見され、内20点が国宝の指定を受けている。埋蔵品の1つに長さが3メートルもある日本一の刃は権力の象徴で、柄の部分に大きな蕪を模したデザインがされ、蕪槌の刃と称されている。宮内ではレプリカが見る事ができるので見ごたえがある。
それ以外にも宮地嶽神社には、神功皇后主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する御本殿以外に「奥之宮八社」と呼ばれる社が祀られており、「一社一社をお参りすれば大願がかなう」とう信仰で、ご本殿参拝と共に結構な人が訪れている。

面白いのは、奥の宮に向か右手側に広がる広場と右手に見える比較的大きな池と奥に見える古民家の景観はとても落ち着く。桜や梅の季節の木が多く植樹されているので、シーズンごとにこれを目的に来る参拝者も多い。大宰府天満宮の土産の定番「梅ケ谷餅」に対抗して「松ヶ枝餅」も参道脇の店でいつでも買えるお勧めの品である。

案の定単調な神社では無いので、連れて来た彼はそれぞれに興味を示していた。まあ昨今はこれらの特色を示すよりは、嵐のCMで有名になった「光の道」を冠に説明した方が興味を引くので掴みは、光の道はここから見た光景だよと言えば、「なるほど」とうなずいていた。

宮地嶽神社からそれほど遠くないところに宗像大社辺津宮があり、古事記にも出てくる古式豊かな由緒正しい神社である。辺津宮中津宮沖津宮に祭られた三女、神田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)は多分この地方が宗像氏一族縁のエピソードが神話となり、一円を束ねる豪族としての正当性を裏付ける様な逸話となり、古事記に投影されたのだろう。それだけに、一つ一つの説明にその歴史的意味合いに思いを馳せるのも一興である。

一番奥にある高宮祭場は伊勢神宮に通じる静寂さと神聖さを感じる場所である。

ここまでの神社参りは、拙宅からはよく行く馴染みの深い神社であるが、一度行けば満足と言う名所旧跡より、行くたびに小さな発見や、変化を楽しめるスポットである。今回数日後には節分を控え、その準備の設営に忙しそうだったし、年を追うごとにイベント化している様だった。よく思うのだが、寺院より、神社の方が、大衆迎合、世俗化と言う意味では大胆なように感じる。それは宗教と言っても、厳しい戒律がある訳では無く、幾つもあるお祓いの祝詞、中でもおお祓いの祝詞等は神話の様で日本人のDNAに染みついているほど生活化されているので、俗悪的なものであっても、飲み込んでしまうんだろう。

ここまでの行程で3時間程だったので、食事を挟み彼が二日目の宿泊をする天神方面へ向かう事にした。宗像大社から博多方面で、有名な神社と言うと香椎宮とか筥崎宮住吉神社櫛田神社辺りであれば妥当なところだろう。博多と言えば、夏のお祭りの代表の山笠が浮かぶが、山笠と言う祭りは「流れ」と言う集団ごとで、筥崎宮櫛田神社の間を神輿を担いてタイムを競うと言うちょっと競技感覚のある独特な祭りで、県外から来る方には山笠絡みで両神社を参拝するのは一興である。まあ、時間の関係で、私たちは筥崎宮に向かう事にした。福津に戻り車を降りて、福間駅からJR箱崎で下車して向かう事にした。車でも30分程で丁度良い電車に乗れれば所要時間は変わらないので、荷物があり、複数人であれば、車を選ぶのだが、運転の無い気楽さと彼は一足先に一旦ホテルにチェックインしたいとの事だったので、時間が読める電車で現地集合となった。

この筥崎宮は毎年プロ野球ソフトバンクホークスがシーズンインに向けて必勝祈願に来る神社で、この神社の歴史に由来する。宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えら、 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后玉依姫命がお祀りされている。鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名で、後世は足利尊氏大内義隆小早川隆景豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を極めたことで必勝祈願にはうってつけの神社なのだ。

境内は秋に放生会の祭りで西日本一の露店が軒を並べる事で有名で、鳥居が海に向かって真っすぐ伸びており、露店の賑わいはなかなか見事である。第一鳥居の脇に常設店舗となった博多中洲の屋台と同じ雰囲気の花山やその隣のこれも拘りのクラフトビールカフェ&居酒屋、筥崎鳩太郎商店、お隣の昔のパン屋を匂わせるナガタパンに等個性的な店が並ぶ。この筥崎宮の周辺には探すと面白い店が多い。

鳩太郎商店により古民家風の店内で名物の自家製おでんとクラフトビールを頂いた。ここのシェフは元々フランス料理人らしいが、自家製おでんと言うことで、シチューテーストのだし汁なのがフランス料理のを感じさせる。価格も決して高い訳でも無くお手頃だと感じた。

さて、翌日は大宰府天満宮→坂本神社を巡る事にしたが、この一連の参拝の中では一番寒い日となった。小雪がちらつく中、待ち合わせの西鉄大宰府駅で合流したが、寒さに人出は少ないと思っていたが、意外と多く、この時期ならではの受験生と思われる若者と外国人旅行客と思われる少人数の団体が散見された。土曜日でもあり、賑やかな参道商店街もそれなりの賑わいである。ここ数年特に、神社や大宰府との縁も感じない土産売り物や、物販のお店が目に付く。大宰府の雰囲気を壊しているとの思いは無いが、ジブリの専門店や革・鞄専門店などは首を傾げたくなるのは私だけであろうか。眼鏡橋を渡ると直ぐに本殿が見える。ここも節分用の装飾があり、時期を感じさせる。

本殿で参拝を終え、一輪花を付けたと聞いた本殿右の飛梅の木を眺め、次に右手脇から奥の摂社末社を参いり、祭られている銘木を見ながら、大宰府に来たら是非とも寄りたいちょっと奥まったお石茶屋で一服する事とした。ここは居並ぶ茶屋の一番奥にあるので、初めての方は多分手前の茶屋に行ってしまうのだが、実は由緒があり、抹茶と梅が枝餅が美味しいところなのだ。是非寄りたいお店だ。

大宰府天満宮の境内周辺には境内美術館や宝物殿などもあり、一度は時間を掛けて見てみるのも面白い。

大宰府天満宮から遠くない所に「令和」年号の起源となった坂本神社がある。どちらかと言うと、大宰府政庁跡の裏手に位置すると言って良い。

多分、改元が無ければ日の目を見なかった神社ではなかろうか。

大きくそびえる巨木に守られた歴史を感じさせる神社ではあるものの、政庁跡の広々とした敷地裏で雑木林に隔てられ全く目立たない神社である。今は傍刺しのの幟や記念碑、標柱で示され、「ああここが例の神社か」と感慨深く感じるものの、まあそれ以上ではない。話のネタに来れば良い程度であるが、何度来ても存在感は感じる不思議な神社である。

ゆっくりと時間を使って今回参拝をしたが、神社や仏閣は季節折々の姿があり、春になれば桜や紫陽花等様々な彩で楽しめるし、大体広々としているので、散策するにも丁度良い。海外にもこう言った歴史的建造物としての名所は多いものの、日本のそれは、日本の気候に大きく起因するものの、なにかモノトーンで、それを季節の木々や花々が彩らせている様な独特な雰囲気を持っていると改めて感じた初詣であった。

同行した友人も大宰府以外は初めてだったので、いずれの神社にも興味を持ち歴史を感じて貰えた様だ。