ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

安倍元総理の国葬儀を終えて

安倍さんの国葬儀が無事終わった。日本らしく華美な装飾や演出も無く、淡々とシンプルに進行し、来場者の献花を以て終わると言うものだった。想定はしていたが、マスコミは独占中継を行ったが、民放は挙って「国論を二分した国葬」と言うアングルで構成しコメンテーターも同様のポジショントークをしていた。NHKも民放もこぞってである。葬儀の可否を問うのも違和感を感じる。モリカケ、サクラの乗りなのだ。いくらノーテンキな日本人でも、天皇陛下を頂く礼節と民族の統合を国体とする民族意識に馴染まない。

テレビは5分も見てれば嫌になり、YOUTUBEを見ることにした。予想通りLIVE配信していたが、殆解説もなく監視カメラの様にカメラを切り替えながらその時の今を映し出していた。BGVの様に国葬が着々と進むのが見れて、あたかも歴史の目撃者になったが如く時間を過ごすことができた。時折切り替わる一般献花の模様は長蛇の列で、いつ終わるとも知れない深い国民の悲しみを感じた。イギリスの女王陛下の国葬に比べても見劣りしない。その場に行けたら行くだろうか、平日に行くからにはそれなりの準備と調整が必要だろう。ましてや親戚や知人などではなく、行かなくても誰も非難などしない。それでも行きたい気持ちに押されて、行かなければ自分の気持ちが収まらない人達が粛々と並び時間を費やして献花するのだ。行かない(敢えて行けないとは言わない)私はどこか卑怯な思いがした。あれだけ安倍さん支持と 言うならば行くだろうにと、自分に問うてみるが、でも答えは「お前みたいな縁も所縁もない市民は行かないよね」となる。弔旗を掲げるのが精一杯である。だからこそ、この献花に行かれ25,000人弱の方々は尊い。日本人はまだ捨てたもんじゃないなあと嬉しくなる。

菅さんの友達代表の弔辞は泣けた、恋文である。愛していた事が正直に伝わる。その反動が憎悪と虚脱感なのだ。それを朴訥としたチョット聞き取りにくい滑舌で遺影に向かって読むその姿に拍手が巻き起こった。これがこの葬儀のまた、献花者の全てではないか。

岸田総理は臨時国会国葬儀の検証を口にしているが、お金が、いくら掛かったからどうの、決め方がどうのとか本当にどうでも良い。辞めて欲しい。安倍さんの成し遂げられなかった政治的課題に真摯に向き合い討議の場に付すのが、故人を痛みその意志を継ぐものの使命ではないか。