ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

姉弟の死に際して

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静岡に住んでいた実の姉が亡くなった。つい先月の6月16日の事です。63歳であった。

私が福岡にいて、離れて暮らしているので、めったに会う事も無く、乳がんの手術を受け闘病生活もここ数年続いていたので、何時かはまた、再発するのかもと思っていた。

昨年息子が結婚した際に、そのことを伝え、LINEのやり取りをしていたが、あまり頻繁にコミュニケーションを取っていた訳でも無いため、最近いつ会ったんだろうと思い返すと、既に7年が経過していた。

再入院すると実兄から電話を貰い、それではとLINEで状況を伺うと返信があった。死の1週間程前だった。

励ましにと思い、最近妻と近くのアジサイ苑に行った時の写真を送った。一日中部屋に籠っているとのことで、外の状況は判らないけど、アジサイが綺麗な時期なので、アジサイをバックに写真を撮りたいと言うのがまともに返って来た最後の返事で、その後の返信は意味不明な文章だった。

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心配になり、実兄に早々に見舞いに行った方が良いと伝えた。

実兄は古い人で、いまだにガラ携でLINE等のSNSをしていなかった為、息子を仲介しての電話のやり取りで、厳しい状況だが今日明日の危篤状態では無いと思っていたようだ。

見舞いに行った際には、既に昏睡状態で、がんが体中に転異しているので、点滴するにも肺が弱っていて、肺気腫の為呼吸困難になるので、栄養も補給できず時間の問題だった。それでも写真を送って貰て状態を確認することはできた。

LINEの変な返信の時点が意識の混濁状態のギリギリのタイミングだったのかもしれない。結局その2日後夜中に息を引き取ったとの連絡が翌日あった。

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離婚して、子供を育てて、手がかからなくなってからは一人で生活していた。末の娘が結婚をするのに福岡で式を挙げるとのことで、参列した際に、再婚をした事をしり、その再婚相手にも会ったが、2~3年で離婚し、その相手は事故死したと聞いた。

その為その後静岡で一人で暮らしていた。もう50半ばだったと思う。実兄の息子の結婚式で会ったほんの2時間ほどが最後だったが、元気そうにしていたのが懐かしい。

本人死ぬことは常に意識していたと思うが、生きる事に絶望していたとは思わない。楽天的な性格だったと思うし、何とかなると言うしぶとさもある女性(ヒト)だった。

思い出と言えば小学校、中学校の思い出が断片的にあるだけで、思い出すような場面もあまり無いのが寂しいが、そういう意味でとても悲しいと言う実感も薄い。

姉弟愛が無いと言えば無いが、そもそも理由を聞いた事がないが、小学校の低学年の頃から、両親が居酒屋の様な料理店を夫婦でしていた為、夜幼い子供だけに出来ないと言うことか、祖父母の所に兄弟そろって預けられる事がしばしばだった(どの位期間か定かではない)。

夫婦での店の運営が良くなかったか、夫婦で務める事となった時点で、転居しアパート住まいになった。その時に一緒に住んだのは両親と兄だけで、姉は依然と祖父母の所に預けられられていた為、中学校に上がるまで、一緒に住んだことが無かった。2歳違いなので、中学校に上がるころには姉は高校受験で、女子高に入学したが、一年もせず中退し、その後駆け落ちの様にして結婚して出て行ったので、一緒にいたのは2年も無かったと思う。

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出て行き方が良くなかったので、祖父母の子供(三人で年は10歳以上離れていた)とも良い関係も作れず、その後しばらく疎遠になった。

中学高校の6年間であまりまともに話したことは無かった。そのうちに大学進学で横浜に下宿するようになって、全く会う事も無かった為、縁が薄いのはよく判る。

結婚して、親戚の冠婚葬祭で顔を合わす程度で、何をしてるかは兄や叔母から風の噂で聞く程度だった。それでも離婚して一人ぐらいになった時に、生活に苦しいとのことで支援を求めて来たことが2回程あり、その時は手持ちの貯金を仕送りしたりした。

そんな時もっと親身になっていれば、違ったかもしれないが、今考えても、あの時はあれで仕方なかったと感じている。

我家に泊まったことも2・3回あったと思うが、少しよそよそしい感じだったと記憶している。嫁にも2つ違いの兄がいて、年恰好は同じだが、近くに住んでいるにしては、あまりお互いに干渉しないところを見るに、兄妹とはこんなものかと思っていた。

まだ5つ違いの兄が健在だが、この兄とは普通の兄弟(?)の様に育ったのでコミュニケーションも普通にあるが、20歳で結婚しているので、大人になってから飲みに行ったり、遊びにいったりした経験は無い。その後九州に落ち着いてしまい、結婚式に静岡から出てきて貰った2回程(自分と、姉の娘の結婚式)しか九州に来ることは無かったし、自分が帰省することも数度しかなかった。そういう意味で姉とは違うが、関係の濃い兄弟とは言えない。

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ただ、今回の姉の死により、これから、祖母の子供や自身が高齢になっていくなかで、何時最後の別れになるか判らないことは私以上に兄は感じているように感じる。

今回、遺影にする良い写真が無いとのことで、姉の娘の結婚式の時に撮った兄弟三人の写真が良く撮れていたので、加工して作成した。

ついでに、最後になったこの三人の写真を油絵にして、兄に送る事にした。喜んで貰えたが、描くに際して、細部に渡りよく表情を分析する為、良く観察して、気持ち的には今まで疎遠だった分を挽回するほど兄の顔も姉の顔も、見た気がする。

本人の為に残すと言うより、その後に残された家族の為に在りし日を偲ばせるものになればとの思いだが、これから自分も多少は終わり方を考えて物を整理したり、捨てたり、残すことを意識する事も残された者への配慮、労りとして必要ではないかと、まじめに感じる事となった。