ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

TOKYO 五輪 柔道に思う

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東京五輪はコロナ禍開催と言う事で、どうしても盛り上がりにブレーキをが掛かる。

連日のコロナ感染(本当は陽性)者数増加の報道で、気持ちが萎えて、素直に日本人選手の活躍に喜べないの雰囲気である。

YOUTUBE保守系動画では、左翼・グローバリスト・反日連中によるマスコミの世論誘導や煽り報道が日本人の高揚感を引きずり降ろしていると主張している。

昔であれば、こう言った冷静な分析を個人的には判っていても、表立って主張する事ができないので鬱々としているしかなかったが、今はこういったSNSがあるので、「何か意図的」「どうも煽ってる」「切り取り報道では」と言う事がよくわかる。

そんな中、結果で東京五輪を盛り上げてくれているのが柔道だ。

《武道とスポーツは違うもの》

格闘技として、打突系立ち技をしてきた者として、ルールや技の違いはあるものの、柔道は日本格闘技のベースになっていると思う。

そんな柔道も国際化で、ルールと判定の変更で本来の「組合う」「しっかりとした受け身」から勝つためのテクニック、負けないために受け身をとらない柔道になっていると感じて久しい。

しかし、投げ、寝技が決まれば勝てる事は変わらない。これに拘っているのが日本の柔道だと感じた。日本人は古来、戦いに美学を求める。単に勝てば良い、打ち負かすと言うが戦いの基本であり、孫氏の兵法によく表れている大陸の戦いの基本は勝つことだ。

これは西欧ではこれに合理性や、効率と言うものが加味されより一層、勝つことに主軸置かれたと思う。

勝つことはスポーツではルール内であれば何をしても良いと言う事が前提なので、柔道がオリンピック競技になった時点で武道では無く、スポーツになった。だから、勝敗が背中から落ちれば一本負けとなれば、背中から落ちないように、綺麗に投げられないように研究し、結局綺麗な受け身はしないことが負けない事だとなる。

日本の柔道の基本は受け身から始まる。しっかりとした受け身が怪我の予防と指導者は考えているから当然である。

日本人の柔道家はこの考え変えない。柔道の基本を考えれば当然である。しっかり組んで「柔よく剛を制す」なのである。

オリンピックで勝つことはお家芸の日本では当然求めらる。それも金メダルである。

今回のオリンピックでは韓国がソウル五輪の時に加えたテコンドーで金メダリストが不在だったと言う。「国際化の賜物」とうそぶくが、そうじゃないだろう。

柔道は道である、道であるからには究める世界であるが、オリンピックも柔道であるからにはそこで成果を出すことは、道を究める事と同意なのである。だから日本の柔道はシンドイのである。美しい柔道を究めると勝てる事を示さなければならない。

それをこの東京五輪で示してくれたのではないか。だから感動するのだ。