ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

姉弟の死に際して

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静岡に住んでいた実の姉が亡くなった。つい先月の6月16日の事です。63歳であった。

私が福岡にいて、離れて暮らしているので、めったに会う事も無く、乳がんの手術を受け闘病生活もここ数年続いていたので、何時かはまた、再発するのかもと思っていた。

昨年息子が結婚した際に、そのことを伝え、LINEのやり取りをしていたが、あまり頻繁にコミュニケーションを取っていた訳でも無いため、最近いつ会ったんだろうと思い返すと、既に7年が経過していた。

再入院すると実兄から電話を貰い、それではとLINEで状況を伺うと返信があった。死の1週間程前だった。

励ましにと思い、最近妻と近くのアジサイ苑に行った時の写真を送った。一日中部屋に籠っているとのことで、外の状況は判らないけど、アジサイが綺麗な時期なので、アジサイをバックに写真を撮りたいと言うのがまともに返って来た最後の返事で、その後の返信は意味不明な文章だった。

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心配になり、実兄に早々に見舞いに行った方が良いと伝えた。

実兄は古い人で、いまだにガラ携でLINE等のSNSをしていなかった為、息子を仲介しての電話のやり取りで、厳しい状況だが今日明日の危篤状態では無いと思っていたようだ。

見舞いに行った際には、既に昏睡状態で、がんが体中に転異しているので、点滴するにも肺が弱っていて、肺気腫の為呼吸困難になるので、栄養も補給できず時間の問題だった。それでも写真を送って貰て状態を確認することはできた。

LINEの変な返信の時点が意識の混濁状態のギリギリのタイミングだったのかもしれない。結局その2日後夜中に息を引き取ったとの連絡が翌日あった。

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離婚して、子供を育てて、手がかからなくなってからは一人で生活していた。末の娘が結婚をするのに福岡で式を挙げるとのことで、参列した際に、再婚をした事をしり、その再婚相手にも会ったが、2~3年で離婚し、その相手は事故死したと聞いた。

その為その後静岡で一人で暮らしていた。もう50半ばだったと思う。実兄の息子の結婚式で会ったほんの2時間ほどが最後だったが、元気そうにしていたのが懐かしい。

本人死ぬことは常に意識していたと思うが、生きる事に絶望していたとは思わない。楽天的な性格だったと思うし、何とかなると言うしぶとさもある女性(ヒト)だった。

思い出と言えば小学校、中学校の思い出が断片的にあるだけで、思い出すような場面もあまり無いのが寂しいが、そういう意味でとても悲しいと言う実感も薄い。

姉弟愛が無いと言えば無いが、そもそも理由を聞いた事がないが、小学校の低学年の頃から、両親が居酒屋の様な料理店を夫婦でしていた為、夜幼い子供だけに出来ないと言うことか、祖父母の所に兄弟そろって預けられる事がしばしばだった(どの位期間か定かではない)。

夫婦での店の運営が良くなかったか、夫婦で務める事となった時点で、転居しアパート住まいになった。その時に一緒に住んだのは両親と兄だけで、姉は依然と祖父母の所に預けられられていた為、中学校に上がるまで、一緒に住んだことが無かった。2歳違いなので、中学校に上がるころには姉は高校受験で、女子高に入学したが、一年もせず中退し、その後駆け落ちの様にして結婚して出て行ったので、一緒にいたのは2年も無かったと思う。

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出て行き方が良くなかったので、祖父母の子供(三人で年は10歳以上離れていた)とも良い関係も作れず、その後しばらく疎遠になった。

中学高校の6年間であまりまともに話したことは無かった。そのうちに大学進学で横浜に下宿するようになって、全く会う事も無かった為、縁が薄いのはよく判る。

結婚して、親戚の冠婚葬祭で顔を合わす程度で、何をしてるかは兄や叔母から風の噂で聞く程度だった。それでも離婚して一人ぐらいになった時に、生活に苦しいとのことで支援を求めて来たことが2回程あり、その時は手持ちの貯金を仕送りしたりした。

そんな時もっと親身になっていれば、違ったかもしれないが、今考えても、あの時はあれで仕方なかったと感じている。

我家に泊まったことも2・3回あったと思うが、少しよそよそしい感じだったと記憶している。嫁にも2つ違いの兄がいて、年恰好は同じだが、近くに住んでいるにしては、あまりお互いに干渉しないところを見るに、兄妹とはこんなものかと思っていた。

まだ5つ違いの兄が健在だが、この兄とは普通の兄弟(?)の様に育ったのでコミュニケーションも普通にあるが、20歳で結婚しているので、大人になってから飲みに行ったり、遊びにいったりした経験は無い。その後九州に落ち着いてしまい、結婚式に静岡から出てきて貰った2回程(自分と、姉の娘の結婚式)しか九州に来ることは無かったし、自分が帰省することも数度しかなかった。そういう意味で姉とは違うが、関係の濃い兄弟とは言えない。

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ただ、今回の姉の死により、これから、祖母の子供や自身が高齢になっていくなかで、何時最後の別れになるか判らないことは私以上に兄は感じているように感じる。

今回、遺影にする良い写真が無いとのことで、姉の娘の結婚式の時に撮った兄弟三人の写真が良く撮れていたので、加工して作成した。

ついでに、最後になったこの三人の写真を油絵にして、兄に送る事にした。喜んで貰えたが、描くに際して、細部に渡りよく表情を分析する為、良く観察して、気持ち的には今まで疎遠だった分を挽回するほど兄の顔も姉の顔も、見た気がする。

本人の為に残すと言うより、その後に残された家族の為に在りし日を偲ばせるものになればとの思いだが、これから自分も多少は終わり方を考えて物を整理したり、捨てたり、残すことを意識する事も残された者への配慮、労りとして必要ではないかと、まじめに感じる事となった。

 

仕事のマッチング

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今年はコロナ禍二年目で、企業側の求人に大きな差が出ているのは十分判る状況である。「巣ごもり需要」と言われるサービスなり、プロダクトに関しては絶好調で、交通・観光関係・外食特に夜の営業をメインにしている業種はかなり厳しい。

需要を支える、通信とそれに関わる製品は主に家電やパソコン、ウェブカメラなどから、企業の賃貸物件の在り方まで及ぶ。

当然経済が、政策によって強制的にストップされた経験は現世代人には初の経験で、海外のロックアウトに比べれば日本はまだ緩やかであるが、自然災害に耐える事に慣れている日本人は、「耐える・我慢する」は消費動向を見ても一目瞭然で一気に経済が冷え込んだ。

しかし、初めての防疫対策でどうも的外れ感の強い政府施策に、一頃前の政治二流国との言葉が思い出される。

これからどう回復して行くのか、コロナ禍以前に、景気向上の柱として期待していたインバウンド需要とオリンピック需要は、両方とも出鼻を挫かれ、オリンピックの開催に目途が付くことで、多少起爆剤にはなるだろうが、どちらもだいぶ小粒化したのはやむを得ない。

いずれにしろ、当面、景気は悪化するが、所得格差が広がる状況にあるもは間違いない。会社の経営支援として、金融緩和を更に行い、雇用継続助成金や、事業継続給付金等の輸血を行って、何とか、倒産、解雇を防ごうとしているが、もう限界だろう。

なんとかしようとする中でも、手続きが面倒だったり、支援情報が不十分で振り回されながら、それでも頑張ろうとするグループと、諦め状態のグループに分かれている気がする。

倒産、解雇により職を失った人は、次の職を探さなければならないが、いい仕事がある訳ないと言うのは世の状況から当然である。

しかし、リクルートやエン・ジャパンなどの就活サイトからの情報は決して少ない訳ではないと感覚的に感じる。(専門家では無いので、情報量の変化を数値的にとらえている訳では無い)

ただ、常に出稿されている業種、会社と言うのはコロナ禍前と今を問わず同じように目にする。

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タクシー運転手、ガードマン(警備)、軽トラ運送、トラック運転手は常連である。いずれも業種、業界ならではの悩みはあるようだ。例えば、昔で言う3K(きつい、厳しい、汚い)とかブラックな労働環境とかだ、これらは先入観以外何者では無いが、それを差し引いても、募集記事に魅力を感じないのは私だけではないのではないか。

来て欲しいターゲットがどの層なのかにもよるが、その層が、来たくなる様な表現や知りたい内容のPRに注力すべきだし、仮にそういう要素が無く、いくら望んでもミスマッチだと判れば、求める層を考え直すべきだと思う。

逆に求めるのを若い層に拘るのであれば、その求めに応じて、会社の就業環境や、仕事内容を変える位の事をしないと幾ら延々募集を掛けても無駄では無いかと思う。

いまはIT関連商品や業界、テレワークや拘束時間が短い、成果報酬的なワークスタイルが流行りだ。

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しかし、農業→アグリカルチャーなどと言い換えて、旧態然とした農家イメージをITツールを活用して、より近代的に、商業化を進めているものも見受けられる。こう言う努力は、業界の逼迫感も伝わるし、知恵を絞った生き残りの努力も感じる。

これから、ITの進化で、物流や管理する仕組みは大きく変わる。そこを見据えて提案できる企業や業界が生き残るのだと実感する。

充実した人生とは趣味と仕事を考える~人生の趣味~

趣味は仕事か、仕事が趣味か

  • 仕事を趣味にするのは幸せ?

好きでする趣味はしたいが、仕事にはしたくないという場合もある。実のところ結果として大半がこれであろう。

「この趣味が仕事になればどんなに日々が楽しいだろう」と思いつつも、仕事に日常の大半の時間を費やし、たまの休みは趣味に費やしストレス発散、気分転換し、リフレッシュを図るというものだ。

趣味がプロレベルに達している人であっても、この分類に大体収まっている。

私の場合、仕事に関しては適当にするのはあまり好まな。ある程度の完成度・達成が見込めるところまでは一気に済ませて、期日が決まっていれば、その一歩手前で完成させることを目指す。

それでいて年収はその仕事の評価だと思うので、それなりの金額を貰うだけの自負はある。いくつか転職をしているが、最初は趣味の写真に関われる会社を選んだ。

よって映像産業の中にいた。好きな写真撮影ができるわけではなく、写真業界の商材を売るビジネスであった為、営業としての一般的な業務をこなしていた。

営業事務職であり、普通のビジネスマンである。社内での異動で、企画や総務、管理部門に職種に就くこともたびたびあった為、業界のビジネスマンとしてのスキルや、管理能力は磨かれ出世もした。

しかし、結局趣味としての写真に関しては知識は増えたものの、撮影能力が磨かれることはなかった。

逆に、仕事で好きな写真関連に関わっていたにも拘わらず、趣味としては陶芸や、油絵、木彫、レザークラフト、トンボ玉などに興味を持つようになった。

加えて、中学校から大学、社会人と続けていた少林寺拳法やテコンドーなどの格闘技を続ける傍ら、フォークソングギター演奏やクラシック音楽の鑑賞、ピアノ演奏、仏像彫刻と、歯止めが無くなった。

趣味が広がっていった。まあ、写真撮影も趣味の一つとして残して来てはいたが、どちらかと言うとイベント(冠婚葬祭・旅行等)に撮影チャンスがあり、こういうものには率先して写真を撮っていたが、芸術まで高めたかと言うと、飽くまでもシーズンカメラマンのテクニック向上程度であった。

趣味で写真に拘ると言うのは、写真は動物、風景、人物、スポーツと被写体によって、機材やテクニックが違います。

人物は、スタジオ、野外のコスチューム(服を着た人)撮影からヌードと色々あるが、人物とのコミュニケーションの上手下手が重要である。

動物はその動物の生態をよく理解し、機材を選び、仕掛け等を準備して、イメージ通りの動きや表情がとれるまで、ショット数を惜しまず撮り続けて、気に入ったベストショットを選ぶ。

風景・ネイチャーは望むショットイメージになるまで、ベスト思われるポジションでその時が来るまで待つ。例えば、気に入った電車が一番きれいに映るバックに来る瞬間まで、その撮影ポジションで待ち続ける鉄道ファンを思えばよくわかる。

これらの信念とテクニックを持ちえない私には趣味として深めているとは言えない。

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  • 仕事と趣味との違い

仕事に関する取り組み方、考え方と趣味に対する姿勢や考え方は近いものがあり、ある程度までは拘るものの、極めるまではしない。

「広く浅く」に近いが、プラス「拘る」と言うもので、この「拘り」とは辞書では「自分にとっての意義」とありまさにその通りで、どこまでどの程度までの線引きもこの「拘り」である。

例えば、陶芸はろくろ引き,素焼き、絵付け、本焼き→使える陶器であり、芸術の域に達する一品までは求めない。

トンボ玉であれば、いろんなガラスで一般的なネックレスやストラップの様なアクセサリーが作れるまでで、トンボ玉の先にあるガラス工芸までには行かない。やりたいところに達するための、道具の購入や、技術の取得までは粘り強く収集し、取得する。

武道は既に長年関わっているが、始めた頃から現在まで、常に武道を意識した体力造りや食生活をしている。

結局それを生かす場(実際に使う場)は今まで、酔っぱらった先輩を抑えたり、チンピラに絡まられそうになった時に、毅然とした程度で、あまり行使する機会は無かった。

しかし、練習試合や大会、段位の取得など都度目標があり、それに向かって練習や鍛錬、時間を作ることには拘って、他を抑えてやって来た。

それは「拘った」からである。その拘りが我儘と思われることもあったと思うし、それがゆえに仲間との付き合いが薄くなったり、誤解されることも多かったと思う。

しかし、この拘りが、仕事や、仲間関係、後輩への指導、アドバイス等で「描く人生の在り方」への共感を呼ぶ事もあり、それが信頼、信望になることもあった。

  • 物事に取り組む時に考える

まだ人生が終わったわけではないが、過去を変えることはできない、しかし将来は変えることができる。しかし将来は過去の上以外に立脚しえないと思っている。

だから、自身の面白そうと思ったことに「拘る」こと、与えられた仕事の過程と成果に「拘る」ことにより今がある事を考えると、この先の将来もこの「拘り」を大事にしてゆきたいと感じる。

そうでないと、過去を否定することになり、人生がいつ終わるか判らないと思えば、振り返って後悔しないことを最後の満足・幸せとするのであれば、まだまだ「拘り」たい。

  • まとめ

最後にテーマに対して答えるとすると、どちらもその時々の拘りの対象であるならば、仕事も趣味も同一線上にあるという事だ。

しかし、長い人生で、いろんなイベント軸があるので、その時々で軽重はあるだろう。

例えば、結婚して、子供ができて、子供を育ててと言うイベント軸では、その時々に拘る対象がある。

また、人生の内、40年以上仕事をするとすると、そのイベント軸がある。

就職、転職したり、出世したり、退職したり、職場が変わったり、転勤したりと、これもその時々の拘りがあり、それぞれのイベント軸が同時進行なので、どうしても、その軽重はある。

全てを全力で立ち向かうのは相当厳しいし、きついことである。一日24時間しかないのだから、優先順位や何をどこまではするかを決めて、満足できる達成レベルを決め、それを超えることで良しとする。

そう言う上手な割り切りが必要なのです。1日、1か月3か月、6か月、1年、3年と短長期的に区切って、すべきことを整理すれば、その優先順位や、どこまでやるかが自ずと見えてくる。

そういう見方をすれば、仕事への取り組、趣味への取り組みなどが見えてきて、それぞれが同列に並べて考えることができる。この優先順位の付け方とか、成果に対する満足とが無理なく受け入れられる人が幸せな人なのだと感じる。

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筥崎宮のアジサイ苑は今が見ごろ。

筥崎宮あじさい苑》

本日令和3年6月7日に筥崎宮アジサイ園に行って来た。

6月1日から末まで開催の例年この時期開催している紫陽花展です。紫陽花もかなりの種類がある「神苑花庭園」「あじさい苑」が開催場所です。

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車で行くには結構参道が長いので、本宮の脇にあるあじさい苑に行くのに一番近い駐車場は本宮の真裏の裏参道出口すぐにあるコインパーキングである。JR鹿児島本線筥崎宮の間の県道55号線から入ると事になるが、道が細いので見落とさない様に徐行したほうが良い。

あじさい苑は平日のコロナ禍ではあったが、それなりに人がいたが、ゆっくり見る事ができた。土日はちょっと風情が無いかもしれない。色んな種類を見ることができるので、それなりの広さに地植えと鉢で順路の誘導をしていたが、十分飽きずに楽しめた。

《見応えのある紫陽花とユリ》


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ユリ展


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《歴史を語る福岡の顔》
福岡は結構有名な神社が多い。この筥崎宮もその一つで、筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に挙げられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里現在の福岡県宇美町でご誕生になった応神天皇(第十五代天皇主祭神で、神功皇后玉依姫命が祀られています。創建の時期は、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっている由緒正しい、神社なので、神前結婚式場としても良く使われています。

また博多の年間イベントにも欠かせないスポットで、特に博多三大祭りの一つの博多山笠は締め込み姿の競り子達による勇壮な祭で、その年、各流の当番長町役員が、箱崎浜(筥崎宮が鳥居が海に面する浜)まで駆けて行き、汐井(真砂)を升やテボ(竹ヒゴで編んだか ご)に入れて持ち帰る。行事が神事として重視される。

秋の「放生会」はのべ100万人が訪れる九州隋一の祭りで、正月に執り行われる「玉せせり」は
締め込み姿の競り子達による勇壮な祭り。博多には無くてはならない祭りのひとつです
その年、各流の当番長になった町の面々(流当番のところは流役員)が、一足先に箱崎浜まで駆けて行き、汐井(真砂)を小さな升やテボ(竹ヒゴで編んだか ご)に入れて持ち帰る。

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昨年今年とコロナ影響で玉せせりも山笠、放生夜も自粛中止されたが、神社と言う場は変わること無く、こう言う時だからこそ祈りを捧げに来るのだと思う。
近くには香椎宮があり、私の住む福津市には、光の道で全国的に有名になった宮地嶽神社がある。この辺りの神話はとても面白い。博多出身の武田鉄矢の朝のラジオ番組の「朝の三枚おろし」でもたびたび、テーマに挙げられているので、YouTubeでも見れるので是非見られることをお勧めす。

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ウッドショックって知ってましたか?

《連休明けのショック報道》

今日、兼ねてよりお願いしていた工務店に見積もりを貰いに行って来た。そのこと自体は別段書き残すことも無いことなのだが、5月の連休前に建物図面の確認をしており、概算次第で着工時期を決めるつもりだったが、結局見積もりが作れない状態にある事が判ったのだ。そしてその事情がちょっと複雑なので、書き残そうと思った。

今回は現在の家の別棟の設計なので、予算的には絞る旨を伝えての見積なので、大体の坪単価70万円前後からどれだけ下げらるかを期待しての話をしたかったが、話始めてすぐ、「ウッドショック」ってご存じですかと聞かれて、何のことか判らず、説明を求めたが、発端は今年の始め位からの話らしいが、連休明けに報道されるに至り一気に、業界内ではパニック状態になったらしい。

話の経緯は、「木材が供給不足に陥り、価格が高騰する“ウッドショック”に住宅業界が震撼(しんかん)している。」と言うショッキングな情報が同業者からの問い合わせで知り、この状況は2021年3月ごろから顕在化して来たとのことで、以降悪化の一途で、日刊木材新聞社の調査では、「ベイマツ乾燥材正角の4月の販売店価格は7万8000円/m3で、半年間で44%も上昇した。住宅会社から『木材が現場に届かず、4月末の着工を延期した』『工事請負契約を済ませた住宅7棟分の製材費の損失が、350万円に達した』といった悲鳴が聞こえてくる。」とのことだった。早速仕入れ元の材木屋に確認したところ、確かに兆候は出ていたが、この報道で大手ハウジングメーカーが国内の在庫を抑え始め、急に仕入れの見通しが立たない状態となり、価格も1.6倍程度にまで跳ね上がったとのことなのだ。

今の家を建てて9年前2012年頃はアメリカでのリーマンショック直前の住宅需要で高騰した時期から、若干下落傾向を辿っていた頃だったが、安値傾向は最近まで続いたという事である。

話ではウッドショックは複数の要因で一気に生じており、8月以降の木材確保の目途が立たない事と、一般木造住宅では、価格の高騰を他の材料などで調整することは厳しく、価格に転嫁することになるが、かなりの金額に跳ね上がるので、商談にならないとのことだった。

要因は複雑に絡み合っているが整理すると

コロナ禍で北米の新築住宅需要や増改築需要が高まったことを契機に発生した

中国の経済回復などに伴う木材需要増

世界的なコンテナ不足に加え、21年3月に発生したスエズ運河での大型コンテナ船の座礁事故によるサプライチェーン混乱が重なり、日本向けの北米材と欧州材が原材料(原木やラミナ)ともに供給不足の状態に陥った

供給不足木材は梁に用いる集成材と製材でもともと輸入材の占める割合が高く、国産材の生産量が限られている部材だ。構造計算にも関係する部材なので、設計上も代替が容易ではない。プレカット会社からは「いつ現場に納品できるか分からない。1~2カ月先になるかもしれない」との悲観的声もあるとのこと、報道では林野庁は4月14日、「国産材の安定供給体制の構築に向けた需給情報連絡協議会」を臨時で開催。①の要因に関して、日本木材輸入協会が、「米国の住宅ローンは3%前後と史上まれに見る低金利で住宅市場は好況なので、今年いっぱいは輸入材の供給不足が続く可能性がある」との見解を示したとのこと。集成材大手の銘建工業では「21年7月~8月に、20年末比で50%増になりそうだ」との事で、つまり1.5倍と言う事だ。まさに震撼する価格高騰だ。

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《今後どうなる》

工務店と話していると、先の話も心配ではあるが、現在着工待ち案件をどうするかの解決に頭を痛めているとのことである。

着工待ちと言う事は、契約も済んで、内金も収めている状態だから、契約書にどういった不測の事態に関する但し書きがあるか気になるが、基本は契約金額で着手しなければならないが、材木屋に既に発注していれば、価格のリスクは材木屋が受けざるを得ない。(発注書を出していない場合でも、見積をしているはずなので、見積有効期限が切れていれば、高い金額で再見積は可能である。但し、工務店との契約なので、お客の契約とは別)

仮に全くの不測の事態を客も理解し、価格の折り合いが付いたとしても、実際の木材の供給が確保出来ないとなると、着工が出来ないので、工期の遅れは想定しなければならない。その場合、住宅ローンを組んでいたとした場合、ローン開始時期の延期の必要が生じ。手付は延期であれば、返還されることは無いと言う。事前に判っていたことでは無いため、柔軟な対応になろう。しかし可哀そうなのは、これから最終見積を取って着工しようとする方の場合だ。図面・見積・資金計画確定して契約も済んでいざ着工と進むが、その段階では早ければ8か月遅くても10か月後には入居するだろうから、現在住んでいるところが借家であれば、6か月前には通知をしなければならない。子供が学校に通っていれば、転校なども準備しなければならないだろう。それが決められないのだ。しかも入荷の目途が立たないと言うだから、しばらく様子を見るにしても、両者協議のうえ解約を覚悟しなければならないだろう。

一般的に一生の内にそうそう家を買う事は無いのだから、とんだとばっちりである。

まあ、番狂わせではあるが、悪いこととは限らないので、気を取り直して仕切り直しと言う事であろう。

自分の経験で言えば、30代早々で中古の家を買ったが、転勤が決まりその家には10か月ほどしか住めず、8年位賃貸に出すことになった。転勤先の関東で8年住んだが、家賃補助が年々減っていき、平塚で中古の家を買う事にした。しかし、なんと転職して九州に戻ることになり、そこも3年弱で売る事になった。また同様な事になるのにはコリゴリだったから、戻った福岡で10年以上賃貸住宅に住んだ。しかしもう流石に良いだろと、工務店やモデルハウスを研究してを1年半ほど掛けて今の家を、この工務店で建てたのである。

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今回の資材の高騰は先に挙げた原因で長期にわたると思われる要因がいずれも希薄であることを考えると、来年にはある程度収まると思う。しかし、リーマンショックによる資材の下落で、材木業者は相当体力を消耗しているとのことで、これを機会に、一気に戻さず、ある程度の価格の維持を図るのではないかとも予想される。

コロナ禍でリモート活用による働き方の見直しは、企業のコスト軽減、社員の福利厚生向上にうまく折り合いをつけて、職場の地方回帰も今後トレンドになる兆しがあるのも新築需要や、リフォーム需要に繋がる様な気がする。よって、ある程度資材価格の高止まりになりそうだ

折角の増築計画だったが、当面見積すら作れそうにない。3年位は進まないかもしれないが、まあ市場を注視しながら、様子見をするしかない。

まだ5月なのに梅雨入り


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《史上二番目の速さ》

福岡では一昨年の梅雨入りが遅く、昨年も梅雨入りと聞いて梅雨明けがいつだったか分からないほど梅雨らしくないシーズンだった。今年は昨日5月16日に梅雨入りで観測史上二番目の早さと言うから、私には初めての最も早い梅雨入りだ。

ネットで確認すると過去3年間の梅雨入りデータを見てみると2018年の入りが6月5日ごろで明けが7月 9日ごろ、2019年は入りが6月26日ごろで明けが7月25日ごろ、2020年は入りが6月11日ごろで明けが7月30日ごろだったから、今年の梅雨明けは去年と同じであれば丸々2ヶ月半は梅雨の時期ということになる。 

空梅雨と言う雨が降らない年もあり、そんな年は決まって猛暑の夏が待っている。今年はどうか。3ヶ月予報では平年並みかやや気温が高いと言うが…

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《梅雨の時期は体調を崩しやすい》

思うに、人間の体はよくできている夏のあの暑い中でも耐えられるし冬のあの寒さの中でも我慢できる。気温差で言えば、マイナス5度から35度位の約40度幅の中でも過ごすことができる。だから一番体に優しい春と秋の18度〜22度位が過ごしやすく気持ちが良い。色々とやる気になるのもこの時期だ。そう言う日本の四季は他の国に比べてもバランスが取れている様に感じる。赤道に近い一年中夏の国や、冬の寒さ日差しの弱い北欧等もそれりの風土と文化が醸成されるのだろうが、四季にメリハリのある国は多様なで繊細な文化が育つと思う。

小さい頃はそんなことにも気づかず、四季を体感しながら、年を重ねて来たが、もうそれなりの年になると、四季の変化に体が反応するし、次に来る季節へのストレスや待ち遠しさが強くなるようだ。

特に日本人なら桜の季節で、この時期が終わると5月の爽やかな日々から徐々に暑い夏の序章と言える梅雨が来ると言う流れは、爽やかな季節と暑い夏とのつなぎ目の様な梅雨がアクセントになっている。体調的にも崩しやすい時期でもある。

《梅雨の時期は要注意》

カメラを仕事と趣味で触れてきた私は、体の変化と密接して要注意時期でもある。それはレンズのカビやカメラの本体のラバー部のネマリが出やすい時期と言う事で、毎日の様にカメラを持って写真を撮っている頃は、日々手入れをしているので、心配ないが、シーズンカメラマンになりつつある今は、カメラのお休み時期でもあり、保管には気を付ける様にしている。カビやゴム部のラバーネマリは、湿度と空気の流れが関係する。

つまり、防湿・乾燥と風通しを良くすることである。

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カビが生え始めたレンズ

レンズのカビは湿r気が元でレンズ表面からクモの糸状の菌糸が見え始めると一気に来る。一番外側のレンズから来るので、シルボン紙と言われる柔らかい拭き取り紙に専用アルコール系の揮発性のあるクリーナー液を付けて拭き取る。初期であればキレイに取れる。内部レンズまで発生すると分解しないと取ることはできない。多少であれば、写りに影響しないが、酷いとモヤっとした写真になってしまう。こうなると修理に出して研磨しなおすしかない。光学レンズは多重コーティングして、紫外線や色の補正や屈折率などを補正しているので、素人が研磨などしたらおしまいである。まあ、研磨するくらいなら買い直した方が安い。

《九州は湿気に注意》

不思議な事にカメラ業界にいる頃に全国にある倉庫で、同じレンズ在庫の管理において九州ではある一定の率でカビが発生するのである。それって高温多湿だからでしょと思うが、仮にもカメラを扱ってい倉庫で温度・湿度管理は万全のはずで、元箱で管理しているので発生するはずがないのであるが、結局地域環境が原因と言うことで曖昧に終わったことが思い出される。

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《オリンピック》

この夏の東京五輪が好天候に恵まれる事が望まれる。7月下旬だから、梅雨は明けているだろうが、梅雨明けの豪雨が気になるところだ。

今はコロナ禍で緊急事態宣言下の東京であるが、今厳しくしてオリンピック通常開催を目指すのであろう。しかし、世界の流行からすると桁が2つほど違いう様な状況なのに医療崩壊とか、最悪だとか言うのがどうしても理解できない。自粛のレベルも偏向報道のせいか、やりすぎだと感じる。インフルエンザの流行が完全に抑えられているので、死者数も例年より少ないと聞くと、予防、治療に適正な薬が無いことにより、より不安感だけ煽られているのではないか。

いずれにしろ、それによりオリンピックが中止はおかしい。緊急時の自衛隊の統制のとれたコントロールを利用してでも安全なオリンピックを実施すべきと感じる。

フリマサイトに思う事

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ネットフリマ

《昨今のフリマブーム》

フリマサイトは今やネットの中で使うものと言う感覚が一般的になってきている。 一昔

前は晴れた公園のようなところで、家族連れで行って色々と使わなくなったものなどを皆で持ち寄り買ったり交換したりする場であった。物を見ることが前提であったから気に入れば買うし気に入らなければ冷やかすだけ、それが結構楽しいものだった。

ネットのフリマって実際のフリマとどう違う》

フリマサイトでは画像は見れるがそこに書かれている説明をどこまで信用できるかかなり難しいやり取りとなる。今一番シェアが高いのはメルカリと聞くが確かにその数は多く信用性を担保するためのニコちゃんマークの数は一定の評価とはなるが、何方かと言うと、悪い評価がないことを確認するためのもののような気がする。

《ものを見ないで買う日常》

言葉によるそのものの状態や、良し悪しを書いてあったとしても、画像で確認できるものは良いとして感覚的に感じる良し悪しは触っている本人しかわからないものだ。 だからこのサイトを運営する事務局はある一定の取引に対するクレームが発生することを覚悟しなければいけない。 額が大きければ余計にトラブルは難しくなる。 そのためそれらのクレームを売り手側と買い手側飲みに解決を任せることはできない。 結局トラブルに関与しないでその結果のみを確認するような事務局であったりしたら今後誰もこのようなサイトで取引をするような危険を冒さない。

《ネット購入のサイトは安心を提供できるのか》

多分、そこのところはサイト運営者もよくわかっていてトラブルが発生した場合サイト運営者の仲介と言う道も残しているようである。 この仲介は結構厄介で、あくまでも中立でなければいけない。 また、双方の言い分をよく聞き、どちらも納得する答えを提案しなければならない。 ただ取引の売り手も買い手も引っ込みがつかないような場合もあり、この仲介者の立場を理解し落としどころ探してくれることを望んでいる場合も少なくない。主に新品のみを扱うような場合でない限りやはりそれぞれの感じ方が違うものの扱いは認識の相違が必ず発生するので出来る限りの出品物に対する情報が届けられる仕様にすべきだと思う。質屋が流質品などをオークションでアップする時には、感覚をできるだけ、数値化し判断基準を作っている。ランクをAから順にランク分けして、新品未使用を「S」ランクとしてあと、その使用感、ダメージをランキングして伝えるのは判りやすいと言えるが、統一されたものがある訳ではないので、個人が出品するのは飽くまでも主観であり、受け取る方も感覚の違いがあるはずである。

《今後の改善》

そうなると、やはり、売る側と買う側の情報の共有が必要だろう。画像は重要な情報であるが、良く撮ろうとしたりすることもできるし、買い側が見たいところが見れる訳では無い。どうしても自己責任で見て判断してくださいと言う売り手側の一方的な情報提供である。補完するためにはメッセージ機能を強化するしかないだろう。

更に今後は、サーバーの容量の問題もあるだろうが、動画に加え音の出るものは音声情報、動作の正常を示すための動画をアップする工夫はトラブルを避ける為、安心して買うためにも必要なことだと感じる。

 

《ネットショッピングを超えるか》

ネットショッピングでは既にアマゾンが「通信販売」の弱点を克服し、一般販売店を大きく引き離してしまった。

通販の弱点

①価格が高い

②送料がかかる。

③商品が届くのが遅い

④届いた品物に不満なあ場合返品がしにくい

⑤実際の品物が良いものかどうかわからない。

ざっと見てもこういう印象があったはずだ。

利用された方は直ぐに感じたと思うが、①も一般の販売店より同じか、さらに安く、ポイントやバーゲンで買えばさらに安い。②プライム商品は年間4,900円でプライム会員は無料になる。送料のみならず数々の特典があるのでメリットは大きい。③に関しても今やものによっては翌日配達され、翌日以降でも到着日が通知される。④返品は基本無料で一定期間内すれば、不良でなくての返品でき、返品手間もかなりシステム的で交渉が不要である。ここまでくると通販のデメリットをほぼカバーしており、「利用しない」理由が見当たらない。最後に⑤が心配となるが、ブランド品であれば、信用もあり、さらに星マークによる満足度を購入客からフィードバックするシステムで、満足度が数値化されるので、これも購買障壁を下げている。アマゾンは中古本のリセールを早くからネットでしていたので、いまだに中古品が新品とサイト中に表示がされる仕組みで、これが言えば、フリマに近いが、出品者が業者である点、信用度が違う。フリマはこのアマゾン並みには至っていないと思う。楽天市場が同形態ではショップ連合として競合しているが、やはりアマゾンがリードしている。

《フリマの今後》

まずはアマゾンを超えることは難しいとしても、先の課題を克服できれば、個人参加者が増えれば、とにかく破格な良品もあり、拾い物的な満足感があるのも魅力で、この辺りをうまく広げることが大事であると思う。とにかく参加者を増やすことそれが命であろう。