ミルコ日記

趣味や日々の思いを綴ります。

ロシアと中国にそして日本について考える。

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ウクライナ進攻


3月8日現在ウクライナへの軍事侵攻の最中、現時点で分かっているには、プーチンの予想以上にウクライナ制圧に手間取っており、侵攻も2週間にわたっている。

各地、各国からのプーチン大統領に対する非難と平和を求める声とウクライナ人に対する同情の声やデモは日に日に大きくなっている。

物事の真偽は裏表両面ある。ウィグル人ジェノサイドを繰り返す中国共産党が平和の祭典であるオリンピックを平然と挙行し、オリンピック委員会も国連もそれを止めることができないばかりか、国の偉業を褒め称える。

プーチン大統領習近平主席も国が違うだけで同種の独裁者である。過去の大戦の反省から大国は独裁者が出てきにくい仕組みを作り、民主的な手法で民衆が選ぶ方法を作り上げてきた訳だ。しかし、21世紀にも独裁者が登場している。結局野望を持ちそれを成し遂げるためにトップに上り詰める為に、様々な手段で政敵を排除し、時に懐柔、取引を繰り返してその座を得ていると言う事である。仕組みはハードルにはなるが、変えることができる以上永遠でもないし、抜け道はある。

国連参加国200弱の国には独裁国家はかなりあるが、小国であれば、一人に権力を集中し、国の発展を任せるのはある意味中小企業のオーナーの様に、その才覚とバイタリティ、家族(国民)を養う使命感から国民から支持される事で国の発展を優先として国家運営をすることはあると思うし、非難されることは無い。しかし、国連の常任理事国の様な強大な影響力のある国では、そう言う訳にはいかない。人口規模が大きくなれば、皆が支持することはあり得ないから、多数決で方向性を定める、その担い手は国民である。ロシアも中国も選挙と言うプロセスを経ていて選出された形にすることで「独裁者」と呼ばれないようにしているが、彼らにも「独裁者」と烙印を押されたくないと言う、民主主義を善とする理念が浸透しているという事だろう。独裁を認めれば、その後はどうしたいのか、生きてる内は富と権力を独占できるが、その後は血族に継がせる?

中国の様に、血族で権力を継承し、それより強い国が台頭し、負ければ、神に見放されたとして、次の違う王朝が国を支配すると言う易姓革命を是とする国柄もあれば、アメリカの様に4年二期までを最長として、それ以上の政権運用は仮に支持率が高くても認めず、改めて立候補者から代表を選出する国々も多い。

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よく言われるところであるが、日本は国の象徴は天皇陛下であって、元首である。しかし、政治は天皇が国民が選挙で選出した議員の代表として総理大臣を任命し、運営にあたる。選んだのは国民であり、そのかじ取りの成否も、国民が判断して選挙で意思を示す。よって天皇に類は及ばない。「君臨すれども統治せず」であり、血統による継承であるため、シンプルかつ明確であり、脈々と継続する仕組みであり、その意味で、尊い家柄である。時間が経てば経つほどその重みがますので、日本に至っては2,000年以上続く王朝は世界最古と言える。北朝鮮がキム一族の独裁を維持する為、血統を重視し、その政権の妥当性を主張する”チュチェ思想”を浸透させ、永遠に国民を隷属させる試みをしているが、この手法は天皇制を模倣している気がする。日本の場合、思想性は天皇の成立当時は思想性の裏付けはあったかもしれない。しかし、今は既に日本人のDNAに刷り込まれた敬慕の念が国柄として皇室を頂いていることで安定している。国民は不満があれば、為政者に不満を覚える。だから皇室自体に不満を感じる事はない。北朝鮮はこの点でかなり危うい。国が疲弊して不満が蓄積した時にそのはけ口は必ず為政者に行くと言う原理をどうやってかわすのか見ものである。

話は戻るが、ウクライナ進攻は単純な覇権主義によるとは言い難い歴史的なもつれがある。しかし、歴史にはどこを起点に判断するかにより、答えは異なるので、白黒は付けられない事はよくある。正邪を判断するのは結局、現在生きている人たちなのであるから、歴史的な経緯をそれぞれの立場で説明し正統性を主張しても、それらを聞く人々の判断はその国に対する印象や、利害関係で正統性の後付けに過ぎない。

2月26日の進行から2週間が経とうとしているが、ロシアは当然短期決戦で、早々に現ゼレンスキー政権を追い出して傀儡政権と和平合意をして、ベラルーシの様な親露派国にするつもりだったのは間違いないし、そのような環境作りも世論誘導も含め見て取れる。アメリカもその様に見ていて、ゼレンスキー大統領が国外に逃亡政府を構えた後に、対ロ戦略をどうするかを専ら考えていたと思える。

これは各国似たような状況分析をしていた為、ロシアを怒らせてまで、ウクライナを支援するか、かなり慎重では飽くまでも「建前論的な正論」つまり、”武力による現状変更は認めない”とする日本政府の主張と似たり寄ったりだったと伺える。それが、意外なウクライナ人のロシアへの強い反発と、抵抗力により長期戦の様相を呈してきたことで、一気に世論は弱者ウクライナへの支援と傾いた。ロシアのあからさまな領土欲がその進行方法や手法で一端が明らかになったことで、嫌悪感と危機感を周辺国がもち、スウェーデンフィンランド永世中立国のスイス、ロシアへのエネルギー依存の高いドイツでさえも反露に舵を切ったのだ。

こうなるとNATO対ロシアもさることながら、ロシアが立場上世界で孤立することになる。国連全体会議の決議で圧倒的な多数でウクライナ支持とロシアへんこ非難決議をしたことでもよくわかる。

ここで微妙な立場なのが、中国である。冬季オリンピック開会式でのプーチン大統領の歓待と首脳会談で、ウクライナを自国の一部と主張するプーチンに賛同し、台湾での中国の立場を支援を取り付ける事に満足していただけに、現状での発言がロシア寄りになればなるほど世界の反発を受ける事にとても敏感になっており、秋の党大会をを控え、習近平としては失点にする事は出来ないとの思いが見え隠れする。今はお得意の爆買いを経済的に窮地に追いやられるロシアへの助け舟として恩を売っている。しかしそのうち状況は変わると思われ、何時までコウモリ外交が出来るか見ものである。

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この状況は台湾状況に似ている。ウクライナウクライナの歴史的経緯やロシア人とウクライナ人との人種的軋轢や親近感などは日本人の私たちには判りにくいところであるが、今のプーチンの主張をそのまま、現在身近に迫る中国の脅威として置き換えると、台湾人は中国人と同質であり、台湾は中国の一部である。台湾問題は中国の国内問題である。これはウクライナ問題はロシアの安全保障上一体として考えるべきで、ウクライナ非武装中立のロシアの盾となるのは、そもそもロシアと一体の国土であるから当然との主張と同意である。またその先には沖縄は琉球王国時に中国に朝貢しており、古来中国の一王国であり、その列島の一部が尖閣諸島なので、まずは尖閣諸島は中国の領土として認めるべきと言う理屈と一線上にあると言う論法で来るのは間違いない。

空恐ろしい状況であるが、ノー天気な日本人と反日日本人・反米活動家がそれらに呼応してデモをしたり、世論誘導したり、中国のネット上のプロパガンダを真に受けているのは昨今では、朝日や毎日の左翼リベラルを標榜するメディアが発行部数を落とし、厳しい経営環境に陥っている中で、更にこれらの一部読者層を取り込むため左傾化してより過激な論調となっているのも注意が必要である。

いずれにしろ、これらのウクライナ情勢次第で中国は動くと思われる。この結果次第でその野望をどう実現するかのリトマス試験紙となるのだ。私たちも他人ごとではない。この動向を注視したいし、併せて中国共産党の動きとそれに連動する世論操作には十分注意する必要がある。他人ごとではない。願わくば、ウクライナがロシアを撤退させ、プーチン政権がこれを機に瓦解することがベストなシナリオだろう。

これからの皇室を思う

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昨日(2021年10月26日火曜日)、眞子様の結婚会見が生中継されていた。当然気にはなっていたので見てみたが、結局結婚することを秋篠宮皇嗣殿下がお認めになった事で、世論のバッシングがあろうがなかろうが、この日が決まっていた様に感じる。ある意味秋篠宮皇嗣殿下が我が娘とは言え時間を空ければ翻意する。世間が納得できる小室親子の借金トラブルの解決をしてくれるだろうと一塁の望みを託したのかもしれない。

しかし、小室圭氏が出した6万字に及ぶ借金に対する回答と対応はかえって世間の反感を買った

世論調査で60%近くが結婚を喜んでいると言うのも胡散臭い解釈である。結婚に対してと言うより、結婚してしまったんだから、皇室を大事に思う国民は、結果に対しては祝意を以て受け止めようとものでは無いか。

そこであの会見だが、何のための会見だったんだろうか?世間の疑惑を晴らしたいと言うのであれば、小室家の問題なので、小室氏自身が積極的かつ誠実に弁明すべきで、皇室に居た眞子様の陰にスッポリ隠れて質問にも文書回答のみで、全否定するばかりと言うとても後味の悪いものだった。

前段の眞子様皇室離脱における国民や皇室に感謝を述べるくだりも、結婚に疑問を抱く声に対して、事実に基づかない誹謗中傷と静かに見守って応援してくれた人と国民を二分し、直接的では無いが、心配して忠言する意見に対しても退け、挙句それが元でPTSDを発症したかのように加害者にしているのは皇室の一員として育ってきた方の最後に述べる言葉なのかとがっかりした。

これに類似する発言を妹の佳子様皇嗣殿下・皇嗣殿下妃も述べられている事から、ある意味秋篠宮家は国民の少なくても半分を敵に回したと言っていいのではないか。

天皇陛下のお考えは国民が望む形での成り行きを希望されていたことから、飽くまでも国民側に立ったお考えだったと思うが、それが結果として出来ない秋篠宮家は結婚んを承諾した以上は眞子様の意見を是とするしかなかったとも言えるので、一概に本音とは思えないが、今後起きるであろうマスコミの報道に悩まされるのは必定である。

これで一件落着とならないので、小室佳代氏の不正年金受給問題を起訴したジャーナリストの篠原氏はTOUTUBEで真実でない誹謗中傷とされた事に怒号をあげていた。

人皇室を大事にしている事を常に語っており、あまりにグレーな小室家から皇室を離したい為の起訴であったと言っていたが、この会見を以て取り下げとはならず、一般人に降嫁された事で、忖度することなく必ず刑事事件として起訴し、白黒つけると意気込んでいた。

小室圭・眞子氏が望んだ形になったどころか、今後の結婚生活がどうなるにしろ、この意見はまとわりつくし、海外に生活拠点を移したとしても、既に海外メディアが小室氏をかなり胡散臭い人物を報じている事から、忖度が無い海外ではより一層ハードなパパラッチアタックや、取材や報道がされ、日本に逆輸入されるのは容易に想像され、小室家による皇室暴露報道がされるかどうかは別として、皇室にとっては災難の芽になるのは間違いなく、更に結婚適齢期を迎える佳子内親王殿下や愛子な親王殿下に影響が出る事が懸念される。

日本の精神的支柱が天皇陛下であり、皇室であることは判っているが、今回の一件で災難を避ける良い手立てが既に無くなった訳ではあるが、秋篠宮家は避ける事は出来ずとも、改めて天皇陛下の御宸襟を煩わすことが無いことを切に願う。

A宮家KK問題について考える

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秋篠宮眞子内親王殿下の小室圭との結婚問題である。問題と言うか禍と言うか、日本国民として誰もが存在を意識する天皇陛下の弟君の子である眞子内親王殿下がよもやこのような禍に陥るとは思ってもみなかった。

自由恋愛が程遠いと思える皇室の皇女が、大学キャンパスでナンパされてあろうことか、数々の金銭トラブル、「遺族年金」不正受給疑惑、「傷病手当金」の不正受給疑惑や反社繋がり等ほぼ確定している母子と関わり、世論が疑念を持ち続ける中で、半ば強引に結婚しようとしているのである。(10月6日時点)

婚約に相当する『納采の儀』をはじめ結婚式に至るまで、関連する儀式や行事を行うことがなくなったり、皇室を離れる際の結婚一時金およそ1億4000万円も支給されない事で、国民が祝う事が出来ない状態に斟酌しているようであるが、本質的に間違っていると思うし、納得できるものではない。

国民は形式や金銭を惜しんて反対しているのではない。日本の伝統の大本である皇室は国民の為に「祈る」存在だと言う。だからこそ尊敬され、大切にされる。しかもそれは、皇統で見れば2700年に及ぶ期間続けてこられた重さ故である。その間色々なことがあったであろう。古代、中世から現代に至る価値観や倫理観は一緒ではないし、共有する情報量ははるかに増えているので、様々な食い違いや見解の相違、価値観に関する賛否が異なる事は差し引いても、「あり得ない」と皆が感じ、一部反日勢力はこれを機に国民統合のシンボルである天皇の存在を貶めようとするだろう。

皇室は憲法で謳う国民では無いので、人権はあっても許されない事が多い。理屈を並び立てれば同じ人間として、人権を侵すことの不当性は皆が認める事だが、それを甘んじて受けているのが皇室である。自らが背負った定め、運命、歴史の重みに耐えて不自由な中我慢しつつ、国民の為に祈る存在であり続けるからこそその価値は尊いのである。

秋篠宮皇嗣殿下が日本国憲法では両性の合意によって婚姻できると言うのは一般国民であって皇室に籍を置く内親王に適応されるのかは微妙である。少なからず、皇室を離れてからの話ではないか。皇室を離脱するには皇室会議が必要とされるようであるが、それも男性皇族の場合と言うことだからより複雑だ。

皇族であっても、日本人であり、非常にデリケートで個人的な問題である結婚に関しての自由意思が無いと言うのは問題であり、結婚するかどうかの判断は本人の個人的意思が優先されて当然であると言う事に反対するものではない。むしろ、皇族と言う特殊な存在であるだけに、自然な恋愛から結婚に進めれば最も望ましいと思っているのは私だけではないだろう。上皇・丈皇后陛下の「テニスコートの愛」等は微笑ましいラブストーリーであり、一般人でも共感できる出会いであり、結びつきだと思う。

しかし、眞子内親王殿下の場合は同じキャンパスで育んだ愛と称していても、どこかいかがわしい。その出会いはある意味小室からのアプローチであり、通常の男女間の付き合などが難しい眞子内親王からすれば、学内と言うかなり縛りが緩い環境での接触に新鮮な感情を抱くのは想像に難くない。納采の儀の内定者としての記者会見以降報道が過熱した小室氏の生い立ちや所業、母親の相次ぐトラブルを見聞きするに、これが自然な恋愛であり、一般人も共感できる出会いであったか、どこか小室氏側に”出世欲に近い”下心を感じるアプローチであり、交際であったとしか思えないのである。つまり、自身の出世やステータスを上げる為に最高の権威である皇族に近づいたと思えるのだ。ただ、好奇心から近づいたにしろ、皇族と知って声を掛けたのだから相当な度胸があり、ある意味大物である。

小室家は母親の虚栄心、上昇志向、双子母子と言われるくらいの母子の仲の良い関係で、幼少のときから上流志向を植え付けられる教育環境を圭に与えている。しかしその陰に実父の自殺、その実親の相次ぐ死と不吉な状況があると同時に、母親のお金に絡む粘着的な錬金術が暴露されている。母親の事だから圭とは直接関係ないとは言い切れない事は、母親の再婚相手とされた方との借金問題に関する圭氏の28ページに及ぶ答弁書も全く誠意を感じない内容で、国民の大多数が呆れた事で、この様な母親の詐欺疑惑は圭にも同じ目線で見るべきである。このような結婚に祝福など出来ないと言うのが主たる世論である。

もうすでに結婚を止められる状況でない様である。今後反日勢力このゆがんだ結婚が、その後にアメリカでの新生活をスタートした時からスキャンダルのネタとしてどんどん取り上げ皇室を貶めるに違いない。(パパラッチ報道や暴露記事等もう日本からでは守り切れない。きっとゴシップネタが噴出するだろう)イギリスのメーガン妃の今を見ればすぐ予測できる事態である。

また、結婚破断、離婚等容易に想像できる。本人たちは自身の選択であり責任は取らざるを得ないであろうが、こうしたことが皇室の権威を傷つけ、皇嗣殿下、悠仁殿下に影を落とす。(実の親族の不祥事だから当然)

更に、これが現在皇統の維持議論に影響をすることを懸念する。ある意味、女性宮家問題をクローズアップすることになる。また、女系天皇の否定にも繋がるので、そこは良しとしても、折に触れ出てくるであろう眞子内親王殿下の悪しき結婚の前例が、今後の悠仁親王殿下のご結婚、佳子内親王殿下の結婚に影響してくることは当然で、とても憂鬱である。

しかし、2700年余りの皇統の歴史のなかでは、存在を揺るがすような事件が多く発生したはずである。大東亜戦争での敗戦も皇統の危機であったが、陛下の人柄と日本人の強い支持で乗り切ってこられたことは皇統の持つ強い生命力だと言えるだろう。この生命力を信じる次第である。

2021年自民党総裁選に思うこと

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総裁選結果

安倍総理病気退任により急遽官房長官から総裁選に出馬し、自民党総裁に選出され、99代内閣総理大臣となり、安倍総裁の残り任期1年を走り抜けて来た菅首相が、総裁選をせずに再選を果たし長期政権を果たすのかと思われていた。

それが総裁選で敗れた岸田さんが早々に立候補を表明し、高市さんも意欲を示したことで、ちょっと待ったが掛った形になったが、二階幹事の後ろ盾や当初の安倍前首相の支持で総裁選を緊急事態下での不選挙にして、解散権を使って総選挙で自民党の旗頭に立とうとしたが、岸田が仕掛けた二階おろしの総裁選公約で、世論を誘導され、自民党役員人事、内閣改造で形成逆転を仕掛けたが、時すでに遅く、一転総裁選不出馬となった。

これで重石が無くなり、先行の岸田、高市に加え河野、野田を加えて四人による総裁選となり、前代未聞の盛り上がりの3週間となり、ポスト菅を争う事となった。この間わずか1~2週間足らずだったが、誰もこの展開を予想していなかったのではないか。

安倍さんのレガシーを引きずりながら、コロナ禍、オリンピック・パラリンピック開催と言う非常に難しい時期を担った菅総理は短時間にかなりの功績を残したと言える。デジタル庁の創設や、携帯電話料金の値下げ、日本学術会議への人事権行使、不妊治療の健康保険適用等、コロナ禍のオリンピック・パラリンピックの無観客開催とかなりの逆風(反日勢力による)を押さえつけて国際公約を果たしたことは立派だし、無観客にしたことで安倍さんからは失望との声が出たとの事だったが、第五波のさ中での開催ではこれは最上の策だったと思う。

それなのに支持率が上がらなかったのは何故だったのだろう。一般に言う発信力の弱さだったのだろうか、会見で文章の読み上げで自分の言葉で伝えていないから説得力がない等と言うが、それはその人の伝え方とは関係無いように思える。

確かに身振り手振り、目線により、伝える力は大きく変わる、安倍さんにはその表現力はあったと思う。TVで見ているだけの一国民の自分でも政治家の抽象的な。言葉ではは理解もできず共感もできない。”共感する為には、”具体的な言葉"が必要だが、具体的であればあるほど、政治家人取っては言質を取られるので言葉を選ぶ。そうすると迫力も無く、素直に感じることができない。その言葉も発する人によって違うのも厄介かもしれない。私には安倍さんと菅さんが同じ言葉を発しても、受け取り方が変わる。やはり安倍さんの保守としての一貫性や政治的主張を信じているから腑に落ちる言葉があるのだ。そう言う意味で菅さんの政治的主張が掴み切れない為、その発する言葉にも懐疑的になってしまうのだ。

菅さんに難があるのでは無く、寧ろ職人として優秀であることは疑いは無い、しかし伝統的な日本を守ろうとする保守本流の人では無いと言う疑念がある。それが国民には判るのだと思う。情報量が少なかった時代と違い、大体の事は判る事から各自は自由に自分の思う判断ができる。判断が正しいかどうかを裏付けたいので更に共感する情報が無いかをネットで探し、多ければ安心し、少なければ不安になる。

いま日本人が日本人の誇りと民族的アイデンテティの脅威の中にある。多分中国が急成長する今から30年くらい前から日本国内の反日勢力の洗脳工作やプロパガンダがあったのだろうが、表立ってそれと判るようになったのは最近である。ここ数年のネット情報やSNSの利便性の向上で情報繋がり、拡散してあからさまに判るようになった事でモヤモヤした思いを抱いていた人たちが検索して知ることができる。”気づく”様になったのだ。

総裁選候補者の高市さんの存在は知っていたが、総裁選に出馬する会見や安倍さんからの支持獲得等を、見聞きするに、これは本物ではないかと感じた。そう思ったのは私だけでは無かったのだろう。YOUTUBE保守系YOUTUBERたちは挙って高市さんを支持し、総裁本命と持ち上げる。裏付ける様に反日マスコミは存在を無視し、泡沫候補扱いをする。つまり本物なのだ。たとえ今回総裁にならず、総理大臣とならなかったとしても、その将来性は明るい。結局岸田自民党政調会長と言う党の政策策定責任者の要職は間違いなくその存在感を示せるし、その動向を皆が注目している事で舞台は整ったと言える。

次の総理大臣候補として十分な舞台である。

その実力を十分国民に示し、党内人脈を整えれば、安倍さんの後ろ盾が百人力として万全な高市総理待望論へと世論が沸騰すると予想する。

今回の岸田内閣誕生がそのプロローグになると思うと、高市ファンの落胆は杞憂に過ぎないと判る。岸田政権が今は無難なスタートに見えるが、足腰が強いとも思えず、一年経たずに躓きがあると思う、その時に”人が良い”と言われる岸田氏が乗りけれず禅譲するか、辞職し新たに総裁選を招くことは十分予想されると思うのだ。すぐに総選挙があり、自民党は勝てば新たに101代総理に選出され、内閣を改造すれば、その顔ぶれも変わるだろう。次の参議院選で戦う為の陣立てだ、その中で高市さんがどの様な大役を与えられるか楽しみである。

その時までじっくり私たちは高市さんを注意深く見守れば良いのだろう。多少の番狂わせはあろうが、早晩高市総理が期待できる。

米大統領選と東京五輪

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《ニューメディが暴く裏の世界》

YOUTUBEが最近のメインメディアになりつつあるが、これに火をつけたのは昨年の米国大統領選である。日本の報道とアメリカのメインメディアの報道、また事象に対する対立する解釈に関しても明らかに反トランプが優勢で、一体何が本当なのか?アメリカ議会がこんなにも偏向した政治的対立が続いている事に今までの考えを改めざるを得なかった。

実はその前の2015年の大統領選挙報道で、日本のメディアを見ても、今までのオバマが4年間民主党政権を維持したことを見ても、政治的バックグランドを持たないトランプが勝てる訳ないと思っていた。たまたま、家に遊びに来た嫁の仕事関係の在日アメリカ人の若者に、このことを聞いてみた。

政治と宗教の話はタブーとは聞いていたが、アメリカ国民がどう感じているかはどうしても聞いてみたかったのだ。その時彼は、トランプを支持し、何故かと聞くと、「クリントンは嘘つきだから信用できない」と言っていた。

意外であったが、メール疑惑もあったので、そう言う事かなあと思った程度で、もっと深いアメリカの抱える闇は感じなかった。

昨年の大統領選では、年明けでは絶好調な景気を背景に、トランプ圧勝と言われたが、コロナ禍で一気に状況は混迷した。しかし、日本であれば、相当な失策をしない限りは対抗馬があれだけ弱かったら、政権交代は無いだろう。

YOUTUBEやにツイッターSNSにアップされる、荒唐無稽な陰謀論から,主観のみで語られる動画等、再生回数稼ぎの動画の中で、多少は納得できるまともな動画やコメントを見るだけでも、トランプと対立する民主党左派、グローバリストの仕掛けた罠の凄さが判る。日本では考えられない投票システムを州ごとに法律を成立させて変えてしまう事で、反トランプ有利にするなど見事だ。また、今も続く選挙不正裁判でのあり得ない様な不正集計は執念すら感じる。

それでもトランプ氏が大統領の席を失ったにも拘わらず、共和党の7割の支持を得ており、選挙不正を4割以上の国民があったと言う世論調査の結果に押されて次の中間選挙、大統領選に歩みだしている。今のバイデン政権の脆さは、これらのSNSを見ていれば判るし、今のアメリカ状況だと思う。日本では全く報道されていない事に不気味さを感じる。

しかし、バイデン政権の海外政策は国としてあまりブレていないのは何か不思議な感じがする。

国内の主導(利権)争いと、海外でのアメリカNO1の意識は別なのだろう。つまり、あまりに中国が肥大化、全体主義化、国際的野望を隠さない姿勢故に、アメリカとしても、国として妥協が許さないのだろう。

《見る目を持つしかない》

日本国内の政治状況が同じく、合わせ鏡の様に動画で分析されるのを見るに、やはり大手メディアでは報道されない事が多いことに驚く。放送法などに規制されているにも拘わらず、平等な報道ではない、切り取りインタビュー等は世論誘導を感じる。

視聴率稼ぎの民放と韓国・中国に配慮したNHK、いずれも反トランプで統一している。

反日、親中、親韓なのだ。与党に対する厳しさと、野党に対する手加減が見え見えで、見ていて気分が悪くなる。新聞も読む気にならない。

よって新聞は取るのを止めたし、テレビは時間確認の為に見る程度で、まともに見たいと思っている番組は番組録画で見ている。

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そんな中、最近よく目にする高再生動画が東京五輪での「韓国のご乱行」である。もともと、慰安婦、徴用工、竹島、歴史問題などで既に、国のレベルの低さは公知になったにも拘わらず、日本に絡んでくるのは滑稽である。

一連のムンジェイン大統領のオリンピック訪日報道や、韓国のオリンピック参加に際しての、選手村横断幕や、ノー放射能弁当持参問題等、他国に来て国として本当にこんなことをするのかとあきれて返ってしまう。

日本以外の国でもするのだろうか?日本だから許されると思っている韓国国民の意識はある意味恐ろしい情緒全体主義の様だ。これもそれもYOUTUBEが思いっきり暴露してくれるのは救われる。

ただ、志向に合う情報しか見ないと言うのも判断を歪めてしまうと恐れている。誰も押し付けては来ないから、こちらが主体的に判断して受け入れるしかないのだから、受けて側に強い判断基準が必要となるだろう。

今後こういうニューメディアを選択して見る傾向はより一層強くなるのだから、もっと情報を正しく多視点から見える様に磨かなければならないと思う。

TOKYO 五輪 柔道に思う

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東京五輪はコロナ禍開催と言う事で、どうしても盛り上がりにブレーキをが掛かる。

連日のコロナ感染(本当は陽性)者数増加の報道で、気持ちが萎えて、素直に日本人選手の活躍に喜べないの雰囲気である。

YOUTUBE保守系動画では、左翼・グローバリスト・反日連中によるマスコミの世論誘導や煽り報道が日本人の高揚感を引きずり降ろしていると主張している。

昔であれば、こう言った冷静な分析を個人的には判っていても、表立って主張する事ができないので鬱々としているしかなかったが、今はこういったSNSがあるので、「何か意図的」「どうも煽ってる」「切り取り報道では」と言う事がよくわかる。

そんな中、結果で東京五輪を盛り上げてくれているのが柔道だ。

《武道とスポーツは違うもの》

格闘技として、打突系立ち技をしてきた者として、ルールや技の違いはあるものの、柔道は日本格闘技のベースになっていると思う。

そんな柔道も国際化で、ルールと判定の変更で本来の「組合う」「しっかりとした受け身」から勝つためのテクニック、負けないために受け身をとらない柔道になっていると感じて久しい。

しかし、投げ、寝技が決まれば勝てる事は変わらない。これに拘っているのが日本の柔道だと感じた。日本人は古来、戦いに美学を求める。単に勝てば良い、打ち負かすと言うが戦いの基本であり、孫氏の兵法によく表れている大陸の戦いの基本は勝つことだ。

これは西欧ではこれに合理性や、効率と言うものが加味されより一層、勝つことに主軸置かれたと思う。

勝つことはスポーツではルール内であれば何をしても良いと言う事が前提なので、柔道がオリンピック競技になった時点で武道では無く、スポーツになった。だから、勝敗が背中から落ちれば一本負けとなれば、背中から落ちないように、綺麗に投げられないように研究し、結局綺麗な受け身はしないことが負けない事だとなる。

日本の柔道の基本は受け身から始まる。しっかりとした受け身が怪我の予防と指導者は考えているから当然である。

日本人の柔道家はこの考え変えない。柔道の基本を考えれば当然である。しっかり組んで「柔よく剛を制す」なのである。

オリンピックで勝つことはお家芸の日本では当然求めらる。それも金メダルである。

今回のオリンピックでは韓国がソウル五輪の時に加えたテコンドーで金メダリストが不在だったと言う。「国際化の賜物」とうそぶくが、そうじゃないだろう。

柔道は道である、道であるからには究める世界であるが、オリンピックも柔道であるからにはそこで成果を出すことは、道を究める事と同意なのである。だから日本の柔道はシンドイのである。美しい柔道を究めると勝てる事を示さなければならない。

それをこの東京五輪で示してくれたのではないか。だから感動するのだ。

東京オリンピック開会式を見て思う事

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一言で言えば、このオリンピックは本当に「しょっぱい」オリンピックだ「シンドイ」と言っても良い。57年経って、改めて日本に戻って来たオリンピックは、東京が数度のチャレンジで獲得できたチャンスだった事はもう過去の話。

石原都知事がぶち上げたオリンピック招致が3代を経て、開会した訳で、もっと待ち遠し感があっても良かった。国立競技場の建て直しにミソを付けたかと思うと、エンブレム疑惑、都知事選に絡む、豊洲の移転の騒動と言い障壁だらけだった。

青島都知事の時だったか、埋め立て地利用で博覧会招致だったか、断念を公約として当選したのは遠い記憶だが、この大都市でのこう言った国際的大イベントには利権や、政治的思惑が関わりすぎてガバナンスの弱い日本ではスンナリまとまる事が難しいのだろ。この大会を最後にオリンピック招致熱が冷めてきているのは何か因縁を感じる。

そこにコロナ禍である。左翼活動家の反日工作も活発に幾重にも仕組まれた政府批判やマスコミの視聴率や購読者囲い込みの世論誘導は、脱炭素や脱原発、親中、親韓連中が共闘して政府批判、中止運動はホントに目に余るほどである。

コロナ自粛で鬱になるより、この反日、グローバル主義勢力の陰湿な話題で辟易して気持ちが萎える。

日本を愛する気持ちのどこが悪いのか。57年前のオリンピックはネガティブな部分はあるだろうが、振り返ると戦後の日本の復興を象徴する様な前向きで希望の満ちた、日本を誇れる大会だった。

2020東京五輪で、菅首相が、世論が二分された事に恨み言を言っていたが、それもほんの一部の扇動者による世論誘導だ。

大方の日本人はスポーツの祭典を単純に楽しみたい。国際的な舞台で日本人の活躍応援したい。日本を誇りたいと言う気持ちでは無いか。

無観客試合が良いか悪いかにおいては、やはり政権が選挙を見据えて、リスクを回避したとしか思えない。総選挙のタイミングが菅首相誕生時直後を唱えた識者がいたが、今思えば、あそこで勝負していれば、このオリンピックはかなり勇気を持って通常開催に持って行けたのではないか。

通常開催に拘った安倍前首相が掛か開会式に出席しなかったのは、悔しさがにじみ出ている。

また、直前の森大会会長の辞任や、音楽プロデューサーや演出監督が引きずり降ろされたのは、もう滅茶苦茶である。他の大会でもスンナリ行った大会は少ないのは理解している。しかし、いずれも中止に追い込むと言うより、貶めているだけである。

開会式の内容は、テーマ的にもコロナ禍を意識しての凝った演出であることはよく判った。アニメ文化の中心地日本を意識した部分も判るが、吹き出しの各国プラカードや、とかく洋楽ばかりがメインの曲選びには、違和感を感じざるを得ない。

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吹き出し国名を記することで、何を意味するのか?そんなことより、和のテーストをもっと入れるべきではないか。桜や富士をイメージした入場コスチュームを着た外国団体があった位だから、日本に求めるイメージを素直に表現すべきだったと感じる。

漫画を発信している国かもしれないが、飽くまでもサブカルチャーである。日本には古くからので伝統や、オリンピック競技では無いが、相撲の様な伝統格闘技もある。なぜそういったものをもっと前面に出さないのか。

派手さを競うのは不要である。地味でも良いから、東京五輪エンブレム様な落ち着きと和の重みを出すべきだった。劇団ひとりの演出も軽すぎる。

聖火点燈ランナーに長嶋・王・松井と並べたが、痛々しかった。気持ち的には懐かしいとか元気な姿が見れたより、見たくなかった。

大坂なおみの最終点火には、そこに来たかと言う印象だ。確かに日本人初と言う冠には申し分ない。だったらゴルフの松山でもいいよと思うし、彼女がメンタルな問題でツアーを途中欠場した経緯からして、力強さを感じない。どちらかと言えば、流行りのダイバシティーとかBML運動とかを想起させ何かリベラル臭がする。

いずれにしろ、いちゃもん続きのこの高いだが、日本人の活躍が全てであり、観衆や、組織云々は器に過ぎない。中身で勝負してほしいと切に願う。